おあとがよろしいようで

 

氷室×火神からの火神×青峰でふたなり桃井→青峰
かがみびらき(受)



 スポットライトのあたるステージから、巨大な鏡餅が逃げるようにひっこんだ。どこの誰が拵えたのか質感にまでこだわった着ぐるみは、二段ともにビーズクッションのような柔軟性のある素材でできており、走るとぽよんぽよんと左右に揺れる。みかんと上段を支えるおおきな下段、親しんだアメリカでも見たことのないたわわに実った腹周りの餅をぽよぽよと振りながら、暗い袖に辿り着く。羞恥に染まった頬があつくてあつくて、握りしめた拳を腹立たしく餅にぽよおんと叩きつけた。脂汗で身体中がべたべたしている。
 くやしい、くやしい。番外編でようやくの出番と意気込めば、こうも仕打ちを受けるとは。鏡餅のきぐるみを身につけた火神はいやでも垂れてくる鼻水をずずっとすすりあげた。

「うー……ちくしょー……」

 客席から漂うひえた余韻にしらけた拍手。思い出したくないのに頭が勝手に数分前を繰り返す。
 幕が開き、スポットライトに照らされた手足の生えた餅を前に七人の観客は口をつぐんだ。用意された台詞を披露すれば、舞台ごと凍りついた。
 絶対に外すとわかっていた。控室でスタッフに衣装を着せられながら、何度もやめたほうがいいと提言した。その結果がこれだ。
 罰ゲームだからしかたない。スタッフはへらへらしながら着ぐるみ姿の火神の腹に油性ペンで新年のあいさつを書き、それだけで泣いてしまいそうになった。
 スポットライトのまばゆい光のなかで、一発芸という名の罰ゲームをさせられるのは屈辱以外のなにものでもない。火神は黄瀬のように「かがみもちっス☆」などと華やかに締められやしないのだ。モデルが出来るほど容姿が整っていればうまく流れをつくることができるのかもしれないが、火神には到底かなわない。
 キセキが並ぶ正面を正視することはできなかった。それでもそらした視界の端から、連中の挙動がわかってしまう。
 相棒の黒子は「ホラーの苦手な君が『The Thing』みたいですよ火神君!」と目を見開いて騒ぎ立てるし、この顛末をあらかじめ知っているはずの桃井は見てはいけないものを前にしたかのように顔を伏せる。緑間は眼鏡のブリッジを直してばかりで、紫原はおかきの袋に片手をつっこみながら「まずそう」などとしかめ面で。赤司ときたらせっかく元に戻った目の色が片方だけまた変わってしまいそうだった。人格を呼び戻したいくらいショッキングな光景とでもいいたいのだろうか。
 せっかく着付けてもらった晴れ着も剥ぎ取られてしまって、冗談のような恰好のまま暗い舞台の袖をとぼとぼと歩いている。もう着せてもらえないだろう。手間のかかる和装は火神ひとりではむずかしい。
 控室に戻り着ぐるみを脱いで、またあいつらと顔を合わせるのが憂鬱で、火神の足取りはひどく重かった。また百九十センチ以上の背丈、がっしりとした身体つきの火神でも着こめる衣装はあまりにも巨大で、鏡餅ゆえ高さも横幅もある。巨大なはりぼてを身につけたまま動くのは難しく、火神は腹周りの餅にふらふらと振り回されながらあぶなっかしくも進もうとした。だが、ぽよよんと広がる胴体の餅に遮られ、白しか見えない足元というのはなかなか厄介だ。
 人気のない、うすぐらい舞台袖も輪をかけたのだろう。戻ろうとしていた火神はうっかりなにかにつまづいてしまった。まるで誰かに足を引っかけられたように、頭からつんのめる。

「ひゃふ! うわ、わ、わ……!」

 バランスを崩して転んでしまう。どしんと尻もちをついて、「鏡モチの火神が尻もち! キタコレ!」などとどこからか伊月の声を聞きながら、回転しはじめた視界に悲鳴を上げる。転び方が悪かったのか、火神は横倒しのままごろごろと転がっていた。タイヤのように転がる球体として理想的な形状でデザインされた着ぐるみの餅は転がるごとに勢いをつけ、ごろんごろんと舞台の袖を降りていく。
 この先は長い階段が控えているはずだ。このままでは階段を転げ落ちてしまう。恐ろしさにすっと胸が冷えた。新年早々この有様で、果たして無事でいられるのだろうか。
 来たるべきその時を思い火神がぎゅっと目をつむると、前触れもなく腹のあたりを押されて回転が止まった。音を立てて転がらない自分の身体におそるおそる目を開ければ、腹の上に長くて細めの脚が乗っている。なんだか高そうな革靴だ。誰かが片足で火神の腹をもみゅっと踏んづけているのだ。あたりは暗くてその脚の主が誰かわからない。転がる餅と化した火神を止めた親切な誰かに、心の底から礼を述べる。

「さんきゅ、助かった! このままじゃ緑間あたりに『縁起物が転がるなど不吉なのだよ。音が同じというだけでお前が担げるものではない。「鏡餅」と何も見ないで書けるようになってから出直すことだな』とかなんとか言われるとこだったぜ……」

 脚がどけられ、手が差し伸べられる。ありがたく手を掴めば、またたく間に引き寄せられた。そのままぎゅうっと抱きしめられる。明らかに両腕で囲いきれない幅の餅ごと、誰かは火神に抱擁を与えようとした。火神と誰かの間で餅がもみょみょと変形し、隙間をなくすように満たしていく。火神は慌てた。

「ちょっ、ちょっとアンタ、借り物だからこわしたらシャレになんねえって!」
「つかまえた、俺のかわいいおもちちゃん。英語圏で育ったお前にかるたで勝負なんて、桃井さんもひどいね」

 鳥の囀りのようにうつくしく鼓膜をゆらす、ここにはいないあのひとの声。火神は餅のなかに仕舞った耳を疑った。だけど、それでもこの声は、間違いなくいとしい彼の―――。
 とくんと胸が切なく高鳴る。では、いま火神を抱きしめているこの身体は。転がる餅から火神を救い出してくれたのは。

「タツヤ……? どうしてここに? 今日はあいつらだけじゃねえのか」
「シュウに連絡をもらってね。舞台の袖からこっそりみていたんだ。かるた会の様子も床下に設けたお座敷で、シュウといっしょに畳の隙間から見守っていたよ」
「マジかよ……! あいつらそんなこと一言も……」

 過ぎたはずの羞恥が腹の底から身を焦がす。火神を囲ういとしいはずの腕を振り払った。ほんとうはずっと、抱きしめられていたいのだ。だが、いまの火神にそうされるだけの資格はない。
 よりによって兄に、はずかしい姿をみられてしまった。身も心も餅になってしまった火神に、兄は失望しているに違いない。
 兄の眼前に晒されているという事実が、火神の身体をひとりでに昂ぶらせる。愛された内側はじくじくと熱を持ちはじめていた。
 舞台へあがるよりもはずかしくて、緊張する。兄に見られているのだと思うと身体は我を失い、じりじりと焼け焦げていく。まるで火にあぶられた餅のよう。
 餅から飛び出した両手で腹のふくらみを落ち着かなくもちもち掴んでは離した。むきだしの足はすっかり冷えてしまって、裏はきぃんと凍えている。
 薔薇の花がひらくように、兄がふわりと微笑んだ。いつだってかわらない、火神だけに見せる穏やかな表情で兄がやさしく諭す。

「俺が勝手に来ただけだから、彼らは知らないよ。俺がここにいることはタイガだけがわかればいい」

 だから安心して。そういって兄は火神の腹をついた。またもバランスを崩した火神は尻もちをつき、床に座り込んでしまう。ありがたいことに今度は転がらなかった。着ぐるみのせいで腰が浮き、広げるしかない両脚のかかとをかろうじて床に落とす。
兄が火神の前に膝をついた。むきだしの火神の脚をするすると舐めるように、じっくりと撫でていく。ひえた火神の脚に兄の指はあたたかかった。

「先読みに視線誘導、広さと反射、模倣に跳ね上げ、それに速さ……おやおや、お前以外はかるた取りに応用できる技を持っているじゃないか。日本語といい、はなから勝負はみえている。桃井さんはお前に着せるつもりであの衣装を用意したのかな」
「あいつらが考えてること、わかんねーし……」

 爪先からのぼっていく指は太腿のうちがわを撫でていた。毛皮でも愛でるように指の背でやさしく触れられて、餅のなかの腰があまく痺れる。

「ハンデがあるなか、タイガはよく頑張ったよ。かるたには使えなかったけど俺は『高さ』、好きだな。バスケにだけ発揮できる、タイガだけのスペシャルなギフトって感じがする」

 膝裏を持たれて、掲げられた脚の先。はだしの爪先にキスされる。ちゅ、と薄紅色の兄の唇から上がる水の音に餅に仕舞った火神のものがひくんと揺れた。
 兄のうつくしいくちびるが、沼から突き出た脚のごとく餅から生えた足の指にくちづける。それも先までこの足は舞台の床を直に踏んでいた。兄のくちびるが触れていいものではない。そうわかっているのに、脚を愛でる兄の姿から目を離すことができなかった。あまつさえ心は、そのさきを望んで。

「た、たつや……あしのゆび、きたねえって……」
「どうして? タイガを鳥のように跳ばせる素敵な脚なのに」
「俺、はだしで、だめ、だから……」
「なにがだめなの?」

 兄が足の指を口に含んだ。人差し指から薬指までを食むと、飴でも舐めるようにくちゅくちゅと音を立てる。あつい口のなかでくちびるに窄まれ、舌で丹念になめられて、掲げられた太腿の内側がひとりでにひくついた。含まれたところからあしがとけてしまいそう。
 制止のための言葉は効をなすどころか乞うような響きを帯びて、自分の声に泣きそうになってしまう。
 つづけてほしい。でも、やめないといけない。頭ではわかっているのに、身体が言うことを訊いてくれなくて、火神は逃げるように悶えた。氷室を振り切るように身体をゆすり、餅がたわむ。純白の餅の上でみかんが揺れた。兄の手が離れる。

「ここステージで……まだ、あいつらいるかも、しれねえ……たつやぁ、だめぇ……!」

 火神が悶えるたびに餅はきしみ、床の上で押しつぶされる。みちみちみち、とあちこちから嫌な音を立てていた着ぐるみは、とうとうぱかりと割れてしまった。勢いをつけて左右に別れ、火神の身体から離れる。衝撃で、首にかけた指輪が一瞬だけ浮き上がり、すぐに胸へ戻る。着ぐるみを身につける前の姿、下着を穿いただけの火神は床の上で呆然と寝転がったまま、何が起こったのかさっぱりわかっていなかった。惚けていると上からみかんが降ってくる。餅が弾けた衝撃ではるか上方へ飛び上がっていたのだ。パスを受け取るようにみかんをキャッチすると、兄が額にくちづけた。

「餅が開いたらタイガがでてきた」
「うわ、やっちまった……」

 全身を覆う締め付けがなくなったことに、ようやく事のあらましを知る。気持ちを抑えるためにみかんを抱きしめれば、橙の果実を模したそれはクッションのように火神の腕のなかで変形した。

「弁償は俺がするよ。こうでもしないとタイガをかわいがれないからね。さて、餅が開けば鏡開きだ。汁粉にきなこ、モッフルなんてのもあるんだっけ。どれでおいしく食べられたい? 俺だけの、かわいいかわいいおもちちゃん……」

 邪魔な餅の残骸を雑に退けて、兄が火神に覆いかぶさる。腕をつかまれ、見せつけるように手の甲にくちづけられた。手の甲のキスが示すのは、たしか、敬愛。
 兄の影のなかで、火神は頬を染めた。それは愛しい兄のために生じた、心からの喜びだった。喉を鳴らす。答えなど決まっている。火神は夢見るようにくちびるを開いた。

「タツヤのすきに、味付けして……」



 語り終えたよろこびに、男がくちびるを吊り上げる。猫が盛るように喘ぐ身体のなかは心地よく、考えをまとめるにはちょうどよい。
 ぐぷぐぷと濡れたもの同士がこすれあう決して小さくはない音が、正月の装いをした床の間にひっきりなしに響いている。い草の香る畳の上には片づけたはずのかるたの絵札が撒かれたように散らばり、八枚の座布団は二列に敷かれていたことすらわからない有様。おもいおもいに散らばる座敷を物ともせず、かるたを背に座布団を腰に、晴れ着のくずれたふたりがひめはじめとばかりに絡みあい睦みあう。
 組み敷いた胡桃色の身体から袴はすっかり剥ぎ取られ、脱がした男の手のままに座敷の隅で皺を寄せて丸まっている。着物どころか襦袢すらめくれ、腰紐は揺すぶられるたびにゆるみ胸のあたりにまで上がっているが、それでも気丈に衣を留める。それが男の嗜虐欲をことさら煽るのだということに、男以外は気がつかない。
 抵抗することはないのだとわかっていても、解いた角帯で両腕をまとめた。組み敷いたこの身体がおとなしく和装に身を包むなどそうあることではない。どうせならば隅々まで状況を楽しまなくては。着物に親しんだことのない男には、紐を外せばただの布に戻るこの装いが面白くて仕方ない。布の切れ目から覗くとろけるようなチョコレートの肌に欲を掻き立てられた。この国には年明けに身体を重ねるひめはじめという伝統的な行事もあるのだ、せっかく与えられた機会を誰が逃すものか。こればかりはこの催しを企画した桃井に感謝しなくては。
 菓子の包みを剥がすようにむきだしになった腰から下。膝が肩口につくまで身体を折りたたんでやれば、目にちらつくのはまばゆい白足袋。まずは尻さえめくれればどうなろうと構わなかったので放っていたが、これはこれでよいものだ。マホガニーのように独特の輝きを持つ麗しい肌に白はよく映える。足元にだけ布をまとったまま、行為を強いられる姿も滑稽で大変よろしい。この白だけ身につけて、最後まで事を進めてもいいだろう。その頃にはことなる白で身体中に彩りを添えられていることだろうが。
 互いに達していないまま、男の雄は固い蕾をこじ開けつづける。入りはじめはいつだってぎこちなく、こうして碌な愛撫もなしに突き入れた時はことさらで。それでも一年繰り返し男を受け入れた身体は、与えられる熱に従いきちんと欲を拾いあげる。
 口でいやだと腕ではなせと叫んだところで、もはや逃げられやしない。それでも懲りることなく爪を立て牙をむく姿は、これ以上ないほどに男の好みであった。だからこそ年の初めに抱いてやろうと襟を掴み、座敷へ押し込んだ。そうして今に至る。年末年始、兄と過ごした日々のなかで自然とふくらんでいった思いの丈を、先刻味わった苦くもあまい経験を基に作り話に仮託して、近況のように語りながら。
 さて、これにはどう聞こえたものだろう。火神は腰を動かしながら、あおむけに組み敷いた青峰に同意を求めた。

「つうのよくね。すげえ良くね。クソ滾る」
「どーっでもいいけど、いま言うことじゃねえだろ! どけろ抜けはなせもげろ!」

 白足袋の足でがしがしと肩を叩かれるも、別段気になることではない。よろけることなく「あぶねえあぶねえ」とぼやきながら足裏をつかんだ。

「お前しかわかってくれる奴いねえんだよ。最後までカルタ取り合った仲じゃねえかケチケチすんな」
「カルタとこれとてめーの妄想は関係ねえ! っ、ちんこ膨らますな! いまのどこでデカくする要素あったよヘンタイ!」

 床の間に響くほどの声で青峰が張り上げれば力いっぱいに襖が開き、目の前には桃井の姿。かるたを読み上げたときと変わらない、艶やかな振袖姿に身を包んだ桃井がふたりの姿に血の気を失い絶句している。初心な小娘を揶揄るように、火神はあえて親しく声をかけた。

「よお桃井。お前も交ざるか?」
「……年が明けて五日もしないうちに、もうカガミンにパコパコされちゃったんだ」

 敷居を跨いで桃井が歩みを進める。畳に転がった青峰は、桃井の姿を認めようと必死に首をひねっている。火神はゆるゆると頬がほころぶのを感じた。青峰にとって最も見られたくない姿を、よりによって幼馴染に見つけられてしまったのだ。表にこそ出さないだけで、青峰はひどく動揺していた。どうにかして火神から這い出ようと身をよじるも、肝心なところで奥深く穿たれている。火神から抜いてやる気があるはずもない。
 怯えるようにひくひくと締まる内側がかわいらしい。情動のままに散らばった座敷の中心でむきだしの脚を広げた青峰に残された言い訳などあるはずもなく。飛び切りのサプライズに一年の初めから幸先の良いことだと思う。神籤を引かずとも大吉以外の何物でもなかろう。
 汗ばみこわばる肢体の上で、火神は好青年らしい微笑を浮かべた。

「ガードゆるすぎて先が思いやられるぜ。アッチも『速い』んじゃ困りもんだよな。締まるしぬくいし濡れるしで具合いいけど」
「さつき、これは事故だ。幻覚だ、夢だ。わかったら回れ右して全部忘れろ。火神のモチ姿以外忘れていい」
「着たまましてえの?」
「門松に刺さって死ね」

 桃色の影が転がった青峰の頭を挟むように足を止める。桃井は少女らしい喜びに頬を染めて破顔し、きゃあと歓声を上げた。まるで黒子を前にしたようなはしゃぎぶりに、青峰の全身から汗が噴き出る。ひとつにまとめた髪をふるりと振って、桃井はひとり身悶えた。

「うぅ……大ちゃんのカガミン専用便器っぷり、たまんなぁい……! 今年もいーっぱい、ハメられちゃうね! データまとめるのたのしみだなあ。ねえ大ちゃん、今年は私のアハトアハトも……あるんだよ。ティガーとの相性は抜群だから、すきなだけメスイキしようね! えへへ、いい年になりそう!」

 丸みを帯びた白磁のごとき細腕がするすると裾をめくる。秘されたそこを明かりが真昼のように照らし、青峰はゆっくりと目を見張った。目蓋があがりきるまで目をこじ開けても、突きつけられた景色は変わることなく。火神は青峰の腹の上で頬杖をついた。

「さつ……き?」
「乳とデカさ比例すんのかな。ひさびさに見たぜアレックス級」