だから欲しくなるんスよね



 面食らわなかったと言えば嘘になる。
 
「黄瀬くんって女の子と付き合える?」
 
 事を終えた後の薄暗い照明のままの寝台でそんなことを問うてくる氷室を横に、黄瀬はすぐには返事ができなかった。まじまじと隣のセックスフレンドを見つめる。頭上にそびえるラブホテルの調光パネルだけが白々しく光っていた。

 当然、付き合える。同性相手で身体を重ねたのは氷室ただひとり。事故のように彼を知った後も恋愛対象は異性のみだ。そもそも選択肢にないのだから当たり前で、同性と情事を行うのも氷室だけだと確信めいた予感を抱いている。彼は何というか特別だった。後腐れなく付き合えるというのも理由の一つで、なぜなら氷室には交際相手が別にいる。

 黄瀬が好ましく感じている好敵手、火神大我。気の置けない彼が氷室の本命で、喜ばしいことに両思いであるそうな。

 氷室とは仲間内でも話さないことを話し合うことができた。主に異性への対応やそれに纏わる面倒事がそれに当たった。贈り物は迷惑でしかないだとか、告白のたびに時間が無駄になるだとか。嫌味としてまともに取り合われなかったり、相手にそもそもの経験がなかったりして諦めに似た感情で放っていた事柄に対し、氷室は時に軽率に時に思慮深く付き合った。憂さ晴らしに付き合ってくれることが何よりも有り難かったし、氷室との会話の中で参考になることも多々あった。それは氷室もまた黄瀬と同等の経験を積んできたからに他ならなかった。
 ゆえに氷室のこの問いもその流れとして話をすればいいのだと理解はできる。しかしながら、問うことの多かった黄瀬が答えることの多かった氷室の話し相手をすることの荷の重さを思うと、容易に口を動かせなかった。それにこれは氷室の内に潜めた話題なのだと黄瀬は瞬時に感じ取った。答えに正解も不正解もなくそんなものは相手も求めていないだろうが、やはり気は遣う。
 
「ふつーにできるっすけど。昔付き合ってましたし」
 
 横たわる彼は一瞥もせずに天井を眺めている。額に手の甲を乗せて、そこから何が見えるのだろう。
 
「どういう女の子がタイプ?」
「そっスねえ、自分で自分のことを理解してる子が付き合いやすいっすね。で、そこそこ気を配れて、俺のこともわかってくれて、話が合うともっといいっていうか。なかなかいないんすけどねえ……」
「黄瀬くんなら見つけられるんじゃないの?」
「ええー。俺チャラい子しか寄ってこないんすもん。難しいスよお」
「だからそこを自分で見つける」
「あー……そっすね」
 
 言葉を濁す黄瀬に対し、氷室は目を閉じずに口元を微笑ませる。
 
「見る目あるから見つかるよ。大丈夫」
 
 こちらを一度も見ない癖に軽々しく口にするも、これが氷室の癖とわかっていた。彼は気を許した相手には段々と雑になっていく。仲間内でも適当にあしらわれることの多い黄瀬ではあるが、氷室の取るそれは黄瀬相手だからではなく氷室自身の問題で、おそらくは分け隔てなく取る態度なのだろう。気を遣わなくていいと判断した相手には。
 そのくらいの薄い付き合いが黄瀬にとっても楽なはずだが、氷室相手ではなぜだかむずり落ち着かない。性欲処理と愚痴のこぼし先とバスケ相手を兼ねているとはいえ、黄瀬自身久しぶりのセックスに慣れていないせいかもしれない。
 もっとちゃんと、こちらに向き合ってほしいと思うのは。
 
「セックスの方は? どんな感じ、抱きたい身体」
「えー? そっちもっすかあ?」
 
 寝返りを打ったまなざしがようやくこちらに届く。随分な話題を直球で聞いてくるものだと苦笑いした。頬が思った通りに歪む。
 黄瀬の回答を待ち望む相手に、さてどうしたものかと思案する。困ったふりをして考えを巡らせていれば、ぽろりと疑念が湧いた。あけすけな話題をあえて広げてくる氷室に、ひとつ小石を放ってみる。
 氷室の意図を知りたいというのが本音だった。この問答の真意を。上体を起こして、食い入るように身を乗り出した。
 
「もしかして、氷室さんっておっぱい嫌いすか?」
「大好きだよ。大きい方がいい。桃井さんより大きくないとダメ」
 
 考えるそぶりも見せずすぐに返してきたことにも驚いたが、氷室の答えがまるきり予想とかけ離れていたことに、黄瀬は目を丸くした。
 だって、らしくないのだ。ストイックで女体と無縁そうなこの男が巨乳好きだと、誰が考えるだろう。
 
「え、意外ッス! えー、イメージじゃないっす真面目に。へえー……おっぱい星人だったんすねえ……。ちんちん挟んでもらいたいとか、おっぱい吸いたいとか、そういう?」
「別にどうこうしたくはないんだけど。大きくないと抜けないっていうか、勃たない」
 
 表情を変えずにそんなことを言うのだから、言葉に詰まったのはこちらだった。自分で仕掛けておいて、結局墓穴を掘った気がする。
 
「結構それ、相当すね。エロマンガ読み過ぎたんすか……?」
「原因はわかってるけど」
 
 呆然とする黄瀬を前に、そう一言置いてから彼は続けた。彼の目線は自身の内面を語るための言葉を探るようにシーツの波間へ落ちている。
 
「昔から憧れてる人がいて。そのせいで、なんだろうけど。誰も彼女にはならないし、彼女は誰かにならないし。……まだ、彼女が誰のものにもならないから、尚更。おそらく俺は異性愛者だろうけど、範囲が狭い。男とセックスする分には全く問題ないんだけど」
 
 まなざしがゆるゆると上がっていく。黄瀬へと向けられたそれは、しかしながら黄瀬にぶら下がっているあれにしか届いていないのだろうと感じた。
 彼の吐露したそれは確実に面倒なものに違いなかった。憧れの彼女とやらは色男に随分な性癖をもたらしたものだ。口調からすればおそらくきっと、告白もしなかったか告白するもかるくあしらわれたか、どちらにせよ彼にとって望ましい結果にはならなかったに違いない。
 桃井よりも巨大な乳房を持つ女性は、少ないだろうが確実に存在する。しかし、それでは満たされないのだろう。乳房の大きさは単に欲望を起こさせるかどうか。憧れの彼女よりも大きな胸を持つ女性を見つけたところで、結局は間違い探しが始まる。いくら上出来なイミテーションを手に入れても、彼が心から欲することはないだろう。

 緊張を解くために息を吐く。手を伸ばせば届く近さで寝そべっているというのに、この会話の後では非常にやりにくい。氷室の抱えている問題を受け止めきれるほど、黄瀬の器は深くも広くもないのだから。
 
「はー……大分難儀っすねえ」
「やっぱりかい? 君から見てもそうなら、そうなんだろうね」
 
 肩に重いものを背負わされた黄瀬に反してあっさりと氷室はのたまう。その淡泊な返答に拍子抜けするとともに、かえって格好良く見えてしまうのだから困った。
 自身の抱える重みすら、彼にとってはどうでもいいのかもしれない。食えない男だった。
 もしかすれば、手に入らないからこそ彼は魅力的に映えるのかもしれない。手に入らないと悟った人間ほど、彼に惹き込まれるのだとしたら。

 手に入れた火神には彼がどう見えているのだろう。

 黄瀬はすっかり身体を起こしてしまうと、シーツを退けて氷室の股座に座り込んだ。素足が暗闇にぼうと浮かぶ。その上もその先も。同じ厚みと堅さを持つ裸体に向けて、にっこりと笑みを見せつけた。よくできた営業用のスマイルを。
 
「もう一回しません? すげえご奉仕したくなっちゃいました」
「いいけど、バスケはしてくれるんだろうね」
「そりゃあもう。そこんとこは見くびらないでほしいッス」
 
 足裏をシーツに置いて、膝を立てて。彼が生じる布擦れのかすかな音に黄瀬の雄は膨らみ始めた。傲慢な女王にひざまずく僕を思わせ、口元が愉快に弧を描く。
 転がっていたボトルから吐き出したジェルを指先に乗せ、彼が準備を整えた脚の間へすりつけた。乾いた襞を丹念に開かせてあばずれに仕上げるのだと思うと、熱い血液が濁流のように集まった。
 火神もこうした気持ちになるのだろうか。煮える頭によぎったものの、すぐに消えた。