Midnight Laundromat
脚を通しただけのジーンズはゆるかった。ジッパーをひらいたままの前留めは歩くたびにすこしだけ揺れて、カーテンの隙間から見える室内のように下着がのぞく。替えを用意するつもりがなかったので、どれも風呂に入る前に脱いだもの。くたびれたシューズにまだ水気の残るつまさきを押し込むのは愉快だ。
ざらりとした固いジーンズの生地につつまれて、ほてった肌から風呂上がりの水気が吸われていくような気がする。実のところ下着を穿かずにジーンズだけで過ごしたかった。礼節を踏まえてジッパーをあげれば縮れ毛の始末に困るあのスタイル。ひとりならばためらいなくするが、虹村が目と鼻の先にいるので却下。よくもわるくも彼は氷室の格好を咎めるだろう。
ブラインドをあげたままの窓の外は離陸する飛行機から眺めるように橙の街頭と緑赤の信号機、営業中の店が発するネオンサインやましろい蛍光灯などがまたたく、静かなあかるさに満ちていた。真夜中に向かう夜にいくつも点る橙のあかりは街を夜の景色に染め上げる。賑やかな昼の余韻を持つからこそ、この街の夜は落ち着けた。フラットに駆け込むまでに聞こえていた雨音はぱったりと止んでいる。晴れたのだろうか。雨音はシャワーとまじると区別がつかない。
氷室は濡れた髪にとりあえずの始末とかぶったタオルを肩に垂らして冷蔵庫の取っ手を引いた。まあたらしい瓶のキャップをひねって外し、細いのみくちを唇ではさむ。流れ込む無味の炭酸水が乾いた舌と粘膜をぱちぱち鳴らした。
「シャワーが止まらなくてラッキーだったね。ジェイクは雨に降られたあとにぶつかって、毛布かぶってコンロで暖まったって。飲む?」
ひらいたままの冷蔵庫からボトルを取り出し、同じようにタオルをひっかけたままの虹村に渡す。下着にコットンパンツを穿いただけ、布も衣服に分類するならタオルがシャツ代わりの格好は、脱衣かごに放ったものにまた脚を通したという点でも氷室と同じ。それだのに彼は氷室の格好にだけ苦言を呈すのだから不公平で不平等だと思うのだが、その訳を理解してやらないわけではなかった。
つめたい瓶を受け取った虹村がキャップを外して口をつける。彼の関心はときおりシャワーの出が悪くなる古き良きフラットよりも、肝心なときにシャワーの恩恵を得られない隣人の素行に向けられた。
「あいつは行いが悪い。同じフロアなのに俺たちが無事で、あいつだけ止まるなんてどうかしてる」
「暖を取るついでに沸かした湯で淹れた紅茶がなければ、凍死してたとかなんとか。シュウにお礼したいっていってたよ、ティーパックをあげたんだろう? よき隣人から命の恩人にクラスチェンジだ」
心外とばかりに虹村が整った片眉をあげる。屈託なく人好きのする彼がほんの些細なことで憮然としたまなざしにゆがむのが好きだった。氷室の前で無防備に感情を表に出すことのあらわれだから。
「ありゃ倉庫からでてきた在庫処分品だ。年代モノのオーガニック・ペパーミント」
どうやら虹村はアルバイト先であるマーケットの売れ残りの品をよき隣人に押しつけたようだ。氷室は笑いをこらえながら、不在であった虹村に捧げられた謝辞を歌うようになぞった。どうしてだか彼は、彼の不得手とする人間に好かれがちだ。
「『歯磨き粉みたいな味にワビサビを感じた。超クール!』」
「しあわせそうだなあいつ」
「毎日を楽しめるのは立派な才能だと思うよ。おやシャーリー、また夜更かしかい?」
すらりとした細身の猫が氷室の足下にまとわりつき、薄い毛をこすりつけていた。猫はジーンズもおかまいなしに、あまえるように氷室に身体を寄せて鳴く。シャーリーと名付けられた彼女はこのくたびれたフラットで唯一家賃を払わずにどの部屋も鍵いらずで闊歩できる住人だ。気ままな彼女は誰からも愛されている。
氷室は冷蔵庫からミルクのパッケージを取り出した。床におきっぱなしの彼女のための皿を持ち上げ、ミルクを注いでやる。虹村のうわくちびるがもの言いたげに突き出され、それを氷室はくすぐったく思う。
「シャロル、お前はどこからはいってくるんだ」
「鍵はしめているのにね。秘密のいりぐちがあるのかも……キッチンの下とか」
床に皿を置けば猫は静かに舐めはじめる。しなやかな背を曲げて夢中になるちいさな額を虹村が撫でた。彼女はたちまちにゃぁんと鳴いて、虹村の腕へ飛び乗る。尻尾を心地よさそうにぽす、ぽすと揺らす彼女を虹村はあやすように抱いた。
今度は氷室がうわくちびるを突き出す番だった。彼は動物に好かれやすいし実際に好いている。だけれど、このタイミングで特技を発揮しなくてもいいだろうに。
「口のわりに君は世話好きだよね。シュウのそういうとこ、好きだよ」
「タツヤだってこいつは好きだろ」
「うん、でも俺は、彼女にミルクに夢中になってほしくて」
氷室がおいた皿の位置はベッドから離れていた。虹村の腕の中でまるくなる彼女になってみてもいいかもしれない。そんなことを戯れで思って、毛並みのいい額をなでる。あとは寝るだけなら、どうしておざなりに穿いたものをまた穿くだろう。
雨に急き立てられ飛び込んだ浴室であたためられた肌は冷えることを知らない。揃いのように垂らしたタオルの先がふれあう。
「シャワーでしたこと、忘れた?」
「……服着たら今日はやめかと思うだろ」
「君はやめるつもりだった?」
猫が軽く音を立てて床に降りる。ベッドに腰掛けた虹村がタオルを外した。
虹村の体重できしむマット。ろくに水気をぬぐわないままの髪の先からしずくが落ちた。広いワンルームに置いたベッドは訪ねてきた誰かに見られてももう気にならない。
猫が虹村の足下でじゃれている。ぽんぽん。虹村が広いとなりを叩く。彼が示した無言の催促に従って、氷室は腰をおろした。
「タツヤ」
「うん」
「俺はお前が好きでいっしょにいる」
「うん」
「だからあんまり煽んな」
首を曲げて虹村をまじまじと見つめる。氷室の膝に視線を下ろした彼の、耳だけが染めたように赤い。ろくに拭かないから髪がくしゃっと不格好によれたままだ。気づいていないそのままの姿で、虹村はためらいがちにぽつりぽつり口を開く。
「そーゆうの……慣れねえ、から……タツヤのこと、大切にしたいし……」
そうして黙り込もうとする虹村の滑らかな耳介にキスをした。タオルがずれて、ずるずると背中から落ちていく。彼に傾いたせいでベッドがきしむ。虹村は氷室のあけすけな格好や態度にいい顔をしないし、そのくせ月夜の晩でもないのにときどき狼になり、かといって氷室から誘えばばつの悪そうな顔をして、バスルームで最後までできなかったのに猫を選ぶ。すれ違うことが多いけれど好き合っていて、どちらも好きだからこそこうやってかみ合わない。
そうした虹村のこちらの気持ちを知ってか知らずか読めない行動に、だからこそいじわるをしてしまう。氷室にとってはほんのいたずらのそれがナイーブな彼の根っこあたりまでぐらぐらと響いている。それがたまらなくうれしくて、嬉しいと思ってしまう自分が彼に対してすまないのはわかっているが。易々と抑えられるものなら苦労しない。
錐で貫かれたようなずくりとした胸の痛みとともに、湧き起こるようなよろこびがとくとくと広がった。
虹村はずるい。氷室の気苦労をほんの些細な仕草で、ことばで、帳消しにしてしまう。そのかわり虹村もまた、氷室のふとした言動に振り回される。
似たもの同士、としめくくれば見知らぬ誰かにひっぱたかれるかもしれない。弟も、ふたりを知る木吉も、アレックスも、これがのろけだと気がつかないから。
「俺はいじめっ子かもしれない」
「なんで」
「小学校でおなじクラスだったら、間違いなくいじめてた」
「……俺かなりやんちゃしてたぞ」
「それでも、してそう」
キスで振り向かせた虹村のくちびるを奪った。押し当てたまま手を引いて、ベッドに背中から寝転がる。途中でくちびるを離した彼のみる景色なら、この台詞の意味がわかるはず。
「シュウ。つづき、しよ」
寝転がったせいで脚を通していただけのジーンズはずり下がって。グレーの下着の大半が履き口からのぞいている。収めたペニスのかたちがわかるくらいに。
「タツヤ」
「うん?」
虹村が両手で顔を覆った。どことなく背がまるまっている気がする。
「……前しめろ」
「君だってしていないのに」
きしり。虹村がシーツに手をついた。ゆっくりと近づいてくる彼で視界が暗くぼやけていく。
濡れた前髪が落ちてくる。鼻先がふれあい、塞がれるようにくちづけられた。氷室も使うシャンプーのにおいは虹村が使うと違うものに香る。ひとの肌のぬくもり。挟んだ唇の厚さ。くちびるの裏はねっとりと熱い。
猫が鳴いて、とたとたと床を歩いていった。どこへ行ったかはわからない。
両手を広げて目の前の背中を抱きしめた。邪魔なシューズを床に放る。乱雑に落ちる音がした。虹村の身体は抱き心地がいい。両腕でしまい込んでいるとうっかり眠ってしまいそうなほど。肌を通して伝わる彼の温かさが何者にも代えがたいほど好ましい。氷室はそっと目を閉じた。
これから先に起こるであろう出来事に浸る氷室に対し、虹村はやはりどこか違うことを考えていて。くっついた頬の向こうでこんなことを口にする。
「お前の弟からまたいらんものもらいそう……」
どうしてここでタイガなんだ、とはあえて言わないで。
「ラベンダーの香りのアロマキャンドル?」
「あいつどっかずれてるだろ……」
ずれているのは君もだよ、シュウ。そう言ってしまいたいのを抑えた。ふたりの関係を知った弟は虹村が気にするほどには世話を焼いてくる。たとえば虹村がいましがた口にしたアロマキャンドルでは。
『タツヤと使ってくれ、ださい! あ、ベッドサイドに置けなかったら、床とか……この皿に水いれて火ぃつければ火事にならないんで!』
恋人がそれとなくそうした雰囲気の時に灯すのであろう、ロマンチックなキャンドルを弟はたいそう好意的に虹村に贈った。話に聞くところでは抜群の笑顔でサムズアップまでしたらしい。虹村は律儀に皿に水を溜め、キャンドルに火をともした。ラベンダーの甘いにおいは柔軟剤で洗った洗濯物を干したように部屋にこもり、氷室はいたたまれなくなった。
「あれをちゃんと使う君はえらいよ」
「いまから用意するか?」
「待たせないでって言ってるのに……」
虹村から身体を離し、キスをするために唇を合わせた。自分のものではない濡れた髪が額をこする。あたりまえのように伸ばされた舌に自分のそれを絡めて、すきなだけ貪った。どちらのものかわからない唾液を一度、二度、のみこんで繰り返す。体温の異なる内側を同じ熱さになるまでつなげてふれる。脚は愛しいからだを挟んで、その先を求めるために腰を押しつけた。
言葉を交わさなくともこのときだけは互いに同じことを考えている気がする。ふたりでしかできない行為。どちらが長く求めても、喜んでひきずられる。
名残惜しく唇を離した。身体のあちこちにかかる虹村の重みが愛しい。焦点の合わない視界のなか、虹村に見下ろされている。間近で求められると爆ぜるような熱がじりじりと迫り上がった。
「……もう、タイガもあの子もかまわないで。ここにいるのは俺なんだから」
濡れた唇をふさがれる。舌先であやすようなそれに誘われるまま応じた。虹村が頬に手を添え、慈しむように氷室の肌を味わう。くちづけるときにそうして優しい仕草で接してくれるのが、氷室はひどく好きだった。
腕を伸ばして虹村のパンツをさぐりあて、手探りで脱がしていく。留め具が外れたままのパンツは氷室が力を入れるままに外れ、虹村の身体から落ちていった。膝頭のあたりまで下ろせば、虹村は脚だけでボトムを抜く。
彼のむきだしになった肌がほしくて、脚にまとわりつくジーンズを蹴っ飛ばした。ばたばたと揺らすデニムに虹村の手がかかり、するすると抜けていく。くちづけたままの先で虹村がおかしそうに息を漏らした。
下着だけの二対の脚が熱をもとめるように重なり、擦り合った。他人の肌の滑らかな感触を思うまま味わっている。外気に晒され冷めがちなそれすら腰にひびく。先からずっとベッドがきしりとやかましい。
「ん」
舌を離したその先でみつめあった。虹村は望まないが、彼のためならどんなことでもしてやりたい気分になる。時を忘れて恍惚のままに相手に委ねるのは、ひどく甘美なことだと思う。
初心な欲をにじませた切れ長の瞳がまっすぐに氷室に注がれる。この男に求めさせることができるのは己だけだと思うと、言葉にできない暗い情欲が腹のあたりに満ちた。虹村に打ち明けることはない。この感情のしまい場所は氷室だけでよかった。
端に追いやられたボトムが音を立てて落ちた。些末なそれで気が緩み、反動で笑みを浮かべてしまう。おもしろくないと虹村がふてくされた。
「なんだよー」
「いや、なんていうか。君のことすきだなあって」
虹村が求める以上に氷室は求めているのかもしれない。もし虹村がパートナーの解消を申し出ても、容易く応じることはないだろう。
虹村が氷室をどのように思っているのか知りたいと思う。彼に言わせれば目を離せない氷室の、腹の底に隠した狡猾な独占欲まで、どこかお目出度いところのある虹村が察することはあるのだろうか。
もしそれすら併せ呑んで氷室を好いているのだとしたら。氷室の理性が設けたあらゆる歯止めは役立たずになり、底なし沼に落ちるように手放しで虹村を恋い慕うだろう。それがもしかしたら世間でいうところの恋に落ちた状態、なのかもしれない。そうなれば今の比ではないほど、周りが見えなくなるだろう。弟などの親しい面々を除いた周囲曰く、見ている方がはずかしいほどの熱々っぷり、だというのに。そうなれば知り合いには完全に呆れられてしまうかもしれない。だが氷室はそのときが来ることをあまり恐れてはいなかった。
虹村が氷室から起き上がる。身体が離れてあらわになった彼の下着を見つめた。彼の知り合いなら目を見張るであろう鮮やかなショッキングピンク。女性が身につけるタンクトップのような、女児が履くようなシューズのそれ。虹色ではないだけまだマシなのだろうが、涼しげな彼が好んで身につける色ではない。だからこそ、氷室は彼が安いからといって適当に買うそれが好ましかった。誰かにはお笑いに見えるそれが氷室には性的な魅力さえ伴う。
「ピンク似合うよ。もっと派手な色着たら」
「うるせー。バーゲン品はどれもこんなもんだ」
「いいじゃないか。俺は好きだ……」
虹村が氷室の額にキスを落とす。ふたりで身体のあちこちに手を這わせ、隣り合う肢体を味わった。虹村に触れられるだけで息が上がる。虹村に触れているだけで腰がうずく。
シーツに埋もれるようにして、ベッドを揺らした。首筋をあまく食めば虹村が下着越しにペニスに触れた。下に向けていたそのかたちをさすって、布に覆われた窄まりを指でなでる。
伸縮性のある布を通して皺をかぞえるような触れ方がじれったく、氷室は身をよじった。硬さをもちはじめた先端が濡れ始める。
「それされると下着よごれる……」
「汚れるだけか?」
「ふう、ん……」
虹村が手をとめないので、氷室も虹村のペニスを下着越しにさすった。根元から先まで、かたちを覚えるようにふれれば次第に硬くなっていく。それがうれしいのに恥ずかしく、それでいて止められなかった。
布ずれが静かに響いて、虹村が氷室の胸に顔を埋める。尖りはじめていたそこに鮮やかな舌がからんで、身体の奥が熱くなった。唾液で濡れた片側の乳首ははずかしいほどにつんと上を向いている。
「やぁだ」
その言葉を待っていたのか、虹村はかたちを持った片側だけを執拗になぶった。舌先で責め、口の中でころころと転がされる。下着の中の根元がひくんと大きく波打つ。
「ん、ふ……あ、やだって……」
すがりつくように虹村のペニスをさすりつづけた。ふくらんだ陰嚢をもむと虹村が乳首にゆるく歯を立てる。こどもがするように乳首を吸われ、放っておかれていたはずの片側も指で転がされている。
下着の中でペニスがずくずくと疼いた。なにかと胸ばかりをいじる虹村のせいで、氷室は乳首ですらよいと感じるようになっている。氷室は虹村の慎ましい窄まりをねっとりとさすった。氷室の腹の上でひくんと背を跳ねた虹村が、胸から口と指を離す。氷室はうるんでしまった瞳で訴えた。
「なんできみ乳首すきなの……シュウのせいでちょっと大きくなってるのに……」
「そうなのか?」
「うん……」
虹村が決まって吸いつく方の乳首をまなざしで示す。指でふれれば片側とちがってぷっくりと重みすら持っている。虹村の唾液でぬるりと滑り、そのつもりもないのに声を漏らして身体を硬くしてしまった。手の中のペニスが大きくなる。
「しゅーうー」
「悪い、責任とるから!」
「ちゃんともらってくれないと困るよ」
「おう」
素直に答える虹村がかわいらしい。彼は意味がわかって応じているのだろうか。彼の短い応答がいまこの行為を果たすための睦言でも、最後まで氷室に付き合うための意志の表れでもかまわなかった。こうして虹村と熱を分け合えることの方が、どうなるかわからない先のことよりも価値がある。そう思うほどには、氷室には今が愛おしい。
虹村の手を股下にちかづける。彼の足の甲に足裏をかさねて、じれるように求めた。骨張った肌を足の指がぱらぱらと打った。
「じゃあ、ちゃんとこっちも」
頬にくちづけを残して、虹村が氷室の身体を下りていく。一度へそのくぼみにくちづけられて、下腹に力がこもった。くちゅ、とわざと音を立てて唇を離すのがにくらしい。
虹村が氷室の下着の履き口をくわえて、口だけでずり下げる。硬くなったペニスがあらわになると、腹に向けて起き上がった。ゆるやかに湾曲した先から堪えていたしずくが、糸を引いて落ちる。
「っん……」
虹村の鼻の先でひろがる己の痴態に、ざわざわと羞恥が熱を連れてくる。意味がないとわかっていても、氷室は身をちぢませた。
ぽってりとした厚い唇が、ためらいなく氷室のペニスを迎え入れる。そのまま下着を脱がされるものだと思っていた氷室は、上体を起こそうとした。
「シュウ、ちょっ……」
ねっとりとした熱い舌全体で屹立したそれを愛撫され、背筋が溶けるようにわなないた。先端にたまったしずくを吸われ、舌で丹念に舐め取られる。伸ばした爪先は硬くこわばり、シーツを掻く。氷室の足下で緩慢な布ずれがあがる。
根元から先端まで氷室のかたちをじっくりと味わうと、虹村はくちびるを寄せてしごきはじめた。その最中に下着は脱がされ、むきだしの脚を布が抜ける感触すら、氷室を追い詰めるものとして働く。
股に顔を埋める虹村を前に汗が流れていた。処理していない陰毛が虹村の口元を覆っている。氷室は股下から覗く景色にたまらず声を上げた。
「おれ、あんまりそこっ、ちゃんとしてない、から」
「俺のもこんなもんだろ」
根元から先端へ幹をなでるようにゆるゆると。虹村が口を離せば、完全に屹立したそれが隣でそそり立っていて。虹村の唾液で濡れた根元を、彼はしごいているのだった。虹村に施される陰茎への刺激よりも恥ずかしさが勝るせいでうまく集中できない。氷室はもつれるように訴える。
「じろじろ見ないで……しゅうのはちがう……」
「一緒だって」
濡れた指で穴をひろげられた。ペニスをしごいたまま、指が入ってくる。氷室は目をきゅっとつむった。
「っ」
「いまさらこんなことくらいでタツヤが嫌になるかよ」
虹村のかたちのよい指が氷室の縁をかきわけ、ほてった肉をひろげていく。バスルームで焦らされたそこは簡単に虹村の指を受け入れた。根元まで押し込まれたひとさしゆびが氷室の反応をみながらゆっくりと抽出を繰り返す。自由のきく細い指であやすように抜き差しされると、自然とうちがわが狭くなる。与えられるかたちを追おうとして、絞るように肉を閉じてしまうのだ。
付け根まではいりこんでいた指が試すように曲がり、ふくらみを押しつぶすようにこすられた。甲高く声が漏れ、虹村の背を脚で囲った。ペニスをしごく濡れた音がいやに大きく聞こえる。
「あっあ、ああ、や、しゅう」
「つらくないか」
「ん、んっ」
背を仰け反らせ、首を縦に振った。しごき続けられたペニスは腹につくほど大ぶりに曲がり、先端からとろとろと蜜を吐き出している。
虹村が手を離した。後孔からも指を抜かれ、ずると肉をこするそれすら感じる。熟した果実のように色づいた先端からあふれたものが虹村の唾液と混ざり、根元に垂れていた。それはちいさく口を開けた穴を濡らし、シーツに染みを作っている。
ひとさしゆびしか迎えていないそこは氷室の呼吸に合わせてかすかに収縮を繰り返した。虹村を招き入れたあとのそこはいつだってくぱりと開いてしまって、外からでも潤んだ粘膜が覗いた。
虹村が起き上がる。氷室は枕元に向かってずり上がると、膝で止まっていたままの下着を外した。脱いだものをそばに置いて腰を浮かし、脚を開いた。濡れたそこに指を当てる。穴のまわりは唾液と先走りの混じったものでぬるかった。尻の肉を指だけでかき分け、見せつけるように広げる。
喉が鳴った。はくぅと孔が広がり、虹村のための内側が覗く。
「しゅう、いい……よ」
虹村があわてたそぶりで下着に手をかける。彼が下着を脱ぐ様すら昂ぶりに拍車をかけた。ショッキングピンクの布地についた濡れた痕、充血しきった雄のすがた。いまからあれに貫かれるのだと思うと、期待でめまいがしそうだ。
覚えのある先端が窄まりに宛がわれる。氷室は意識して唾を呑み、間近に迫った虹村の身体に安堵を覚えた。鼓動がはやくなる。
掲げた腿の内側が虹村の腿と当たっていた。虹村の余裕のないまなざしに射貫かれて、何もされていないのに声が漏れてしまいそうだった。
「タツヤ」
「だいじょうぶだから……いっぱい、ちょうだンん、あ、あ……!」
指とは比べものにならないそれが氷室の肉を掻き分け、押し込むように進んでいく。虹村が入っていくごとに肺から空気が押し出されていく気がする。氷室は長くながく息を吐いて虹村を受け止めた。
うちがわに虹村が入っている。虹村が進むごとに、彼を迎え入れた肉がひくついた。奥まで仕舞い込めば、ふたりして息を吐く。虹村がクッションをひきずった。
「足、もういいぞ」
「ん……」
虹村に促され、腰を下ろした。行為をしやすいように、氷室に負担をかけないようにと虹村はいつも氷室の腰にクッションを敷いてくれる。掲げた脚をゆっくりと下ろした。
なかに入っているだけなのに、内側がひくひくと彼を締めてしまっている。はしたない奴だと自分を思っても、止められない。
虹村の身体で氷室に影ができている。氷室は虹村に微笑んだ。
「シュウ、俺、この体勢がすき」
「俺も。タツヤの顔がよくみえる」
下腹に手を当てる。肌で感じられる大きな変化がなくとも、ここに虹村が収まっているのだと思うと、撫でずにはいられない。形をなぞるようにへそに向けて撫でた。
「シュウのが入ってると安心する。きもちいいだけじゃなくて、もっと違う、べつの」
「……すげえうれしいけど、タツヤ、その……俺、ゾクブツだからな?」
眦をあかくして声を詰まらす虹村の、困ったような怒ったような顔がうれしくて。氷室は虹村を前にあははと声を上げた。
氷室にとっては至極あたりまえの感情だけれど、虹村にしてみればたまったものではないのだろう。お預けをくらったまま鼻先にご褒美ばかりを増やされ、困惑に振り切ってしまうのはなかにある彼の状態からもわかる。自らを俗物と称して謙遜するのも、彼らしかった。
「わかるよ。シュウのおおきくなってる……待たせてごめんね、いっぱいしよう。いつでもどうぞ、修造くん」
虹村の腕に手を寄せる。彼とこの格好でつながるときは、あちらだけではなくもっと、彼とふれていたかった。
くちづけが落ちてくる。視界が彼でぼやけるまえに自分から目を閉じた。貫かれたそれをより奥まで穿たれて、律動がはじまる。氷室は夢中でくちびるを貪った。
「ンッ、ふ、んふ、あ……!」
漏れる声は鼻に抜けて、自分の出しているものとはいえはずかしかった。氷室の加減をみるようなゆったりとした動き。バスルームで焦らされ続けた内側はひたひたと吸い付いて離れない。腰を動かすだけでも虹村には堪えるようで、キスの合間に声が上がった。
舌を絡ませて目を閉じると、つながる様子を深く感じられる気がする。行為をながくつづけるためのゆるやかな動きも、いつもよりもずっと気持ちよく思えて。
唇をはずした。虹村の濡れた唇に吸いつき、脚を腰にからめる。目の前は彼しか見えない。にじんだ景色いっぱいに映る虹村で内側がひくんと締まった。
「ねえしゅう、あ……っん、バスルームじゃ、こんなこと……できないね……っ」
「あれはあれで、っ……よかったけど、な」
「ん……ものずきめ」
虹村の背に腕を回し、ぎゅうっと抱きついた。なかに入っている彼の先端が熟れた粘膜をえぐる。ちいさく声をあげてから、動揺する虹村の耳元で熱く誘った。虹村をその気にさせる、氷室だけのキーワード。
「もっと、うごいていいよ……しゅうの、すきにして」
「タツ……ヤ、っ」
ためらいを捨て、虹村が深く氷室を穿った。虹村を迎え入れているそこが濡れて音を立てている。
重なった肌が汗ではりつき、離れては触れる。虹村の熱で蒸し焼きにされるようなこの瞬間が心地よく、癖になる。覆い被さる虹村の腹で氷室の雄は突かれるたびにあふれ、ふたりの腹をじっとりと濡らす。快楽を示すための器官として作用する氷室のそれは、行為のせいで思うさま潰された。
内側の肉を虹村のかたちにひらかれ、こすられる。前立腺の裏に当たらなくとも、氷室は後孔それだけで快楽を貪ることができた。虹村に愛されるのであればなんだって構わない。こうした激しい行為を伴わなくとも、虹村となら何だってできる気がした。
密着する虹村のにおいが下腹をどろどろに溶かしていく。風呂場の余韻を保ったせいでそろそろ果てが近かった。まだ足りないが波は待ってくれない。氷室は目をつむってそのときを待った。母音の形のみに口がひらく。
「あっあっあ、ん、も、おれ、いっちゃ」
虹村が氷室の鎖骨を食んだ。骨に近い肉の薄い皮膚を吸われ、下腹がぶるりと震える。虹村の腰を囲う腿のうちがわはひくつき、氷室は身体を硬くした。溜まっていた熱が管を通って迫り上がってくる。氷室は虹村の背をひときわ強く抱きしめた。
「あ、あぁ、あっ……!」
虹村にしがみつき、ふるえる身体に耐える。ふたりの腹に押し潰されていた氷室の雄が精を放った。波打つうちがわがぎゅうぎゅうと締まっている。逃すまいと絡みつくそこを虹村は穿ち続けた。達したばかりの内側を貫かれ、あからさまな嬌声が部屋に響く。
「や、ぁ、しゅ、っあ、ああ!」
「っ……!」
四肢を氷室に絡め取られたまま、虹村が息を詰めた。高められた熱い欲が氷室の腹を満たしていく。氷室がゆるゆると身体の力を抜いた。行為のたびに遠慮のない氷室の力で内も外もぎゅうぎゅうと締められる虹村の苦労を、氷室が知ることはない。
抱き合うふたりの身体をいくつもの汗が濡らしていた。氷室が虹村の身体を抱きしめる。虹村は応じるまま氷室の胸に沈んだ。
どちらのものかわからない荒い呼吸が静かになった部屋を満たしている。氷室は汗に濡れた虹村の前髪に指を伸ばした。額に張り付いたそれをよけてやる。片側だけに寄せるといかにもなサラリーマンのように見え、氷室はひとり吹き出した。
「まーたなんかやってんだろ」
「なんでもないよ、汗がすごいなあって」
「んだよ、タツヤだって。おりゃ」
虹村に前髪を掻きあげられる。左に垂らした分も巻き取ってピンで留めるように頭頂へ寄せられれば、虹村は眉間にしわを寄せた。
「やめてよシュウ、くせがつく」
「……タツヤは何してもカッコつくのな」
「そんなことないだろう。俺だって似合わない髪型のひとつやふたつ」
「普通はひとつやふたつや済まねえの」
「そういうものかい……? ずっと今のままだからわからないや」
「俺はこのままのタツヤがいい」
「ほんとう?」
虹村の額にくちづける。汗で張り付いただけの前髪はぱらぱらとよれて普段の彼に戻っていった。
唇がしおからい。虹村の汗がついたのだと思って、舌でうわくちびるを舐めた。虹村が目を見張るも、氷室にはその意味がわからない。
氷室は虹村の背を足裏でぺたぺたと押し、催促した。
「あのさシュウ、今度はうしろで……いい?」
「タツヤ……その、俺じゃうまくなくて」
「そうじゃないよ。っ……もういっかい、いいだろ……明日やすみなんだし」
まともに虹村と目を合わせられなくて視線をずらす。口よりも雄弁に足が虹村の背をつついた。虹村が案ずるように頭をなでる。
「身体、だいじょぶそうか? 無理するなよ」
「シュウが欲しいんだ……もうちょっと、ね」
そうして見上げれば虹村はくちびるを強いて一字に結んだ。まるで笑みをこらえるようにゆるんだ表情で見下ろされ、氷室の胸がときりと弾む。口を開こうとして、また閉じて。虹村の瞳がためらいに揺れているのがくすぐったい。
つんと突き出し始めたうわくちびるにキスをする。ぶつかるようなそれですぐにひっこめば、虹村は身体を離した。それを待っていた氷室は上体を起こし、彼からみて後ろ向きに姿勢を変える。腰に挟んでいたクッションを抱え、虹村の前に腰を突き出した。
すべてが丸見えになる格好に下腹で熱が点る。精液で濡れた腹が宙に浮き、すこしはださむい。カルキのような精のにおいが鼻についたが、汗に混じって気にならなかった。
ゆるんだ窄まりから虹村の精がとろとろとあふれていた。白くあわだったそれは氷室の尻を伝い、腿の内側へと帯をつくっている。したあとはどうしても締まりがわるくなって、虹村のものをこぼしてしまうのだった。もしかしたら虹村の出す量がおおすぎて、氷室が受け止めきれないのかもしれないが、比べようがない。いままでもこのさきも、虹村しか知るつもりはない。
さきまで虹村を迎えていたそことはいえ、よごれた尻を突き出すのははずかしかった。この姿勢は初めてではないけれど、いつもは行為の最中であるから、あれこれを深く考える余裕がない。
虹村が腰に手をついた。期待に声がもれてしまう。
「タツヤ」
「うん……?」
「悪い、手加減できねえ、かも……」
あてがわれた先端がゆっくりと縁を掻きわけていく。行為を終えたばかりのそこはするりと虹村を受け入れる。氷室は深くすすんでいく虹村のかたちを、内側だけで追おうとした。するりと入った先端に近い半ばから、途端に奥まで貫かれる。ゆるくもたげていた頭がひくりと上を向いた。
「しゅうの、はいっ、て、ああ、アっ……あ、あっあぁ!」
身構えていなかったために、遠慮のないそれをまともに味わう。尻と腰の肉がぶつかり、ぱつぱつと音を立てた。濡れきったそこは虹村が腰を引くたびにくちゅりと鳴り、それだけで熱を煽られる。
硬いままの雄が先端から根元まで、氷室のうちがわを割り開いている。行為に溺れた粘膜は敏感で、虹村が与える熱を思うさま汲み上げた。 抱き合っていたときと角度が変わり、裏側で前立腺の裏をこすられるのが焦れるようにきもちよかった。亀頭がひっかからないかわりに、V字型の雁首にはまって揺すぶられる。いつもは触れない奥の粘膜に上向きの亀頭でこつこつと叩かれると、すすり泣くような声がいくらでも出た。
虹村の手が氷室の腰をつかんでいる。力強いそれにすら感じた。
「しゅ、はやいって、ばあ」
「滑りよくて止まらないんだ、お前のなか」
「っ、そういうこと、やめんっ」
氷室の訴えは無視され、虹村の望むままに穿たれ続ける。止まらない嬌声をあげることしかできなかった。虹村に突かれるたびに目の前がちかちか眩む。頭はクッションに沈んで、声を上げ続けた。きもちよくて、どうにかなってしまいそうだ。
「タツヤっ、肩さげれるか」
「んっ、ん、こお?」
虹村に望まれるまま、腹と胸をシーツにつけた。掲げられた尻めがけ、虹村が腰をふるう。硬い雄が腹側の粘膜を深く穿ち、氷室の背が大きく跳ねた。泣くように声を上げるも、虹村に強く揺らされているせいでぷつぷつと途切れてしまう。
「あんっあ、あ、それ、や、あぁあ、ふかぃい」
いくら弱音をあげても虹村がやめる気配はない。眦からぼろぼろと涙がこぼれた。頬を伝うたび、クッションに落ちていく。
きもちいい、きもちいいけれど、激しくされたらついていけない。
虹村の息が上がっている。終わりを願いながら懸命に耐える氷室の屹立に指が絡んだ。虹村の手が氷室のペニスをさすっている。シーツにぱたぱたとしずくを零す敏感なそれに触れられた途端、氷室は何も考えられなくなった。
「あーっ! だめっ、はなし、あっあぁ」
ひとさしゆびの先が、蜜を吐くそこを塞ぐようにこすっては探ろうとする。うちがわを穿たれ続けているというのにふくらんだ幹をさすられて、泣きながら虹村に許しを乞う。
どこもかしこも熱い。頭からひっきりなしに汗が噴き出し、後ろから揺らされるせいであちこちに散る。虹村を納めているそこは溶けてしまったようにあつい。彼が腰を掴んでいるから、まだ形があることがわかった。
腰から背骨にかけて熱が伝わってしまっているのか、風邪を引いたときのように熱っぽいおぞけが身体をふるわせた。やめてと言っているのにやめてくれない。頭がばかになってしまったのか、まともに物が言えなかった。
くちゅくちゅと結合部から泡立ったそれが聞こえた。氷室にはそこが締まっているのかすらわからなくなっていた。
「やだそれえ、へんにな、るっあ」
「ぐちゃぐちゃ、だな」
「だって、しゅうがぁ、するからぁ……!」
「っ……悪ぃ」
抱きしめるようにして背に、くちびるが落ちる。押し当てられただけのそれが何よりも虹村の気持ちを語っていた。
それは反則すぎやしないだろうか。
唇を離して、虹村が行為を再開する。氷室は喘ぎながらも、虹村を包んでいる柔肉がくつくつと狭まっていることに気がついていた。
うちがわが彼のかたちに馴染もうとして締まっている。背にキスを落とされただけなのに、こうも変わるものだろうか。こころが身体をひきあげて、虹村に応えようとしている。
ふくらんだ根元がぶるりと震えた。腰のあたりがあまく痺れて、後頭部がじんわりと溶けてくる。氷室の欲が出口を求めて迫り上がっていた。
「しゅ、っ、そろそろ、きそ」
「もうちょっ、だから」
「あ、いっ、ちゃ」
身体の求めるままに熱を吐き出そうとした根元が、彼の手で強く握られる。思ってもみなかったそれにタイミングを失い、射精の波が引いていく。
まっしろに弾けそうな意識をどうにかして保つも、身体のあちこちで痙攣が止まらない。跳ねる身体を押さえつけられ、繰り返しうちがわを抉られる。氷室ははくはくと口を開け、虹村の許しを求めた。肉を貫く屹立が脈打つ。
「や、くる、きちゃっ、しゅ、ぅ」
「っ、すまねえ、待たせた……ッ」
「ぁ!」
あつく湿った吐息が首筋に当たる。戒めを外され、ひときわ深く貫かれた。身体の奥で熱い精が迸る。氷室は背を弓なりにのけぞらせ、虹村を受け止めるとともに、ひくんひくんと身体を揺らして溜めていた欲を吐き出した。勢いのあるそれが弧を描き、ぼたぼたとシーツを濡らしていく。汗の染みこんだ、よれたシーツに白く濁った溜まりが生じる。
氷室はクッションに顔を埋めたまま、ふるえる屹立のなるままにした。精巣が空になってしまうような錯覚を抱くほど、精液が汲み上げられては流れていく。収まっていく射精感にぶるりと身体を震わせ、氷室は最後の一滴まで吐き出した。白く染まった鈴口が、はくりと開いては閉じる。
「ん、っは……く」
虹村が額をぬぐった。雨に濡れたように汗を帯びるふたりの身体はどちらも荒い呼吸にそって起伏を繰り返した。
ゆっくりと腰を引き、虹村が氷室のなかから抜けていく。氷室から離れた途端にゆるんだそこから虹村の熱がこぽっと溢れた。熱いそれがとろとろと垂れていくのを肌で感じる。
氷室はしばらくクッションに顔を埋め、膝をついた体勢を保った。腰から下をうまく動かせない。無理をさせてしまった腰を、虹村が気遣い撫でる。
「……タツヤ、平気か?」
「ん。だいじょお、ぶ……」
氷室の隣に虹村が寄り添い、顔を伺おうとする。こわばりが解けた氷室は力の抜けるままに膝頭をずらして、ぺしゃりとシーツに沈んだ。ぼふんとマットが揺れ、ベッドがきしむ。自分の放ったものが腹につめたくべちゃりと広がって、氷室は呻いた。
「ぐしょぐしょだ……マットまで染みたかも」
「今夜は床で寝るか?」
「寝袋あったかな」
虹村に身体を向ける。ひさしぶりに見た彼は氷室と同じくらい汗だくだった。彼を前にすると自然と口元が笑みの形を描く。身体中に染みいる倦怠感すら心地よく、言葉を探せば寝入りばなのような口調になっていた。
「ねえ、君と出会ってからもう何年も経つけど、すこしも色褪せないんだ。いまだって君といっしょなら、床の上で脚を伸ばすのだって楽しみで。……俺どうかしてるかも」
「俺はお前と一緒に暮らせて、こんなことまでできたことが信じられねーよ」
「……似たもの同士なんだよ」
濡れたくちびるがふれあう。虹村とならいくらでもくちを合わせていられる。いつもより激しく身体を重ねても、こうして寝転がってキスをすれば、あまい思い出に変わるのだった。
「シュウのそれずるい」
「言っとくが、お前の方が絶っ対ずるいからな」
「シュウだよ」
「タツヤ」
「しゅう」
「タツヤ」
意識せずに突き出されたうわくちびるをひとさしゆびでつついてやる。どうしようもない水掛け論は虹村が先に吹き出したことで勝負がついて、ふたりで腹を抱えて笑った。ほんとうにくだらないことなのに、虹村となら特別なことに思える。そう思える相手が虹村でよかったと、心から思う。
散々に酷使したシーツに耳を当て、あたりをなでる。目も当てられないあれこれを吸い込んでいる。タオルを敷いたくらいでは意味をなさないだろう。洗濯を行うなら早い内に済ませてしまいたいが、どうしたものか。氷室はつまさきで虹村の二の足をするするとさすった。
「これどうしよう。いまから洗濯機まわしたら怒られるな……」
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。深夜も過ぎた頃だが、この通りではよくあることだ。サイレンが反響しながらちいさくなっていくのを待って、虹村が提案する。
「散歩がてらにコインランドリーまで洗いに行くか。つらかったら寝てても」
「アイスたべたい! チョコバーでもいい!」
はしゃぐ氷室をちいさな子供か何かのように虹村が見守っている。
「元気だなー」
「シュウのでおなかいっぱいだけど、おなかがへったな」
「オヤジ」
「そうしたのは君だろー」
くすくすと笑みをこぼせば虹村が額をぶつける。かるい衝撃にきゅっと目をつむって、それでも笑いは止まらなかった。
いつもなら眠りに向かう、午前零時を過ぎたワンルーム。雨はもう止んだだろう。ひえた虹村の膝がここちよかった。
「またシャワー浴びなきゃ」
今度はバスルームで身体を洗うだけに抑えなくては。虹村は気づいているだろうか。アイスクリームよりもチョコレートバーよりも、外で過ごす虹村とのひとときが何よりもたのしみなのだと。
◆
座り心地のわるい鉄の荷台で尻を痛めるのに慣れたのは、いつのことだっただろう。自転車が夜の街を走り抜ける。かかとを車輪に挟めないよう脚を浮かし、ペダルを漕ぐ虹村の腰に腕を回した。首にかけた鎖は夜の外気に晒されて冷えている。
雨上がりの地面をタイヤが駆ける。オレンジの街灯で照らされた人気のない道路はそれだけで浮き足立つ。シャッターを閉じ、明かりの絶えた窓が並ぶなかで、街灯と信号機の明かりが夜にまぶしい。イルミネーションと化した緑と赤の表示をいくつも過ぎて、自転車が街を走る。
湿気の残る道路にいると、自分で立てた物音もくぐもって聞こえた。みずたまりを避け損ねて飛沫が広がる。日が出ればすぐに乾くことだろう。この地域の日差しは子供がクレヨンで描いた太陽のように苛烈だ。
昼の陽気を遠ざけた街は静けさに包まれていた。むきだしにした腕をここちよい夜の気配が駆けていく。荷台にまたがる氷室の髪は自転車の風を受けて揺れるままだ。乾ききっていなかった髪は涼しさをはらんでいる。
虹村のペダルを漕ぐ力は変わらない。ハンドルについたかごには気持ちばかりに畳んだ大きな洗濯物が押し込まれている。荷物を運ぶのに便利そうな変わった自転車は、虹村が日本から持ってきたものだという。これを漕いで大学に行くと決まって皆からめずらしがられた。虹村いわく、日本ではこの形の自転車がふつうらしい。彼は何年経っても、かごのついた古びた自転車に乗り続けた。
自転車は路面電車の線路が敷かれた急勾配の坂を登っていく。かごにシーツを、荷台に氷室を乗せたまま虹村はこの坂を登り切るつもりらしい。タンクトップの裾をはためかせる背中が立ち漕ぎで勢いをつける。氷室は虹村の背に顔を埋めた。
タンクトップの薄い布地が風でばたばたと音を立てた。心臓の鼓動が伝わる。頬から、額から、じんわりと彼のぬくもりが染みて、訳もなく目に熱いものが満ちた。
いままでもこれからも何の気なしに繰り返すあたりまえの行為。恋人でなくとも誰の間にでも起こりうる、こんな些細なできごとに、どうしてだか感傷を抱いてしまう。
虹村といる今がしあわせすぎて、過ぎてしまうのがこわい。いつか迎える終わりを恐れるあまり、今に執着している。彼と過ごす当たり前の日常はどれも種類の異なる宝石のようにかがやいて、氷室の目を眩ませた。
虹村への恋を自覚するまでは、明日を迎えるのに不安など抱かなかった。一度知ってしまった輝きは手放せない。
「タツヤ」
「うん?」
「なんでもねえ」
「言いかけてやめるのはなしだよ。ちゃんと言ってくれないと」
力強くペダルを漕ぐ虹村の耳元に、ふうっと息を吹きかける。耳元の髪が風で揺れているというのに、彼はまともに震え上がった。振り返り、氷室を怒鳴る。彼の眉間に寄った皺を指先で伸ばしてみたかった。
「こらぁタツヤ! こっち漕いでんだぞ!」
「しってる」
慌てて振り向いた顔がかわいらしくて、虹村をからかいたくなった。氷室を乗せて坂を昇る途中だとわかっているのに、気持ちが止まらない。
支えにした腕の先で無防備な脇腹をくすぐった。指でそれらしくいじってやれば、愛しい背中は耐えるように身をよじる。自転車がぐらついた。
「ターツーヤ!」
「腕のみせどころじゃないか。がんばれ!」
「そういう問題じゃ……っ!」
車体が大きく傾いて、身体が地面に投げ出される。景色が二転三転して、目の前には濡れた道路が広がっていた。倒れた車体のペダルがひとりでに音を立てて回っている。シーツがかごから飛び出していた。
鎖がよれて、指輪が地面についてしまっている。氷室は身体をくの字に曲げて、腹の底でくつくつと笑った。こうなることをどこかで望んでいた気がする。大きな痛みはない。せいぜい手や腕をすりむいたくらいだろう。
くっきりと顔をしかめた虹村がすぐそばで転がっている。氷室は地面に転がったまま虹村を尋ねた。
「怪我は?」
「ねえよ!」
「俺も。あーおかしい」
自転車を放って仰向けに空を見上げた。車のタイヤが近づいてくる気配はしない。遠くの道路をトラックが走っている。辺りはふたりを置き去りにしたように静かだった。虫の音のしない街の道路に虹村と氷室の呼吸だけが満ちる。勢いを失った車輪がちきりちきりと思い出したように鳴った。
白が混ざったように濁りのある藍の空が広がっている。雨雲はなかったが、星は見えなかった。邪魔な明かりのないビーチではいくつもの星が瞬いていることだろう。
地面につけた後頭部がつめたくて心地よい。
「こうやって馬鹿をやっていられるのも、今のうちだ」
「三十までならやってそーだ」
「三十の男ふたりが自転車でふたりのり……しかも盛大に転ぶ」
ざり、と靴が砂利を噛む音が聞こえた。顔をつかまれ、横向きにされてキスされる。
一度だけ口を開いて舌を絡めた。しばらくふたりで見つめ合った。
オレンジの光を受けた彼の面立ちは、しばらく忘れそうにない。
「気にならないだろ。いくつになったって俺は、お前のみっともない姿も含めて見ていたい」
虹村が手を差し出す。すり切れた手をためらいなく掴んだ。身体を起こし、膝や服から砂利を落とす。虹村がハンドルを掴み、自転車を起こした。彼が歩くたびに車輪がちきちきと回る。
くしゃくしゃにふくらんだシーツがかろうじてかごに収まっている。氷室は虹村の隣に並んだ。彼の背中についた砂利を払い落とす。彼と自分の足音だけがすべてだった。ハンドルを掴む虹村の手首を見ながら、ぽつりとつぶやく。
「君って時々無性にずるいね」
「なんだそれ」
ふたりの足取りに合わせてゆるく回転する車輪の音が静けさを埋めた。訳もなく声を出したくなくて、彼がしゃべりだすまで黙っていた。
虹村のずるさを知るのは氷室ひとりだけでいい。
真夜中でもやっている全自動式のランドリー。自転車は店の入り口横に停めた。客のいない店内は二番目の蛍光灯が切れかかっていて、そこだけ暗くなっている。
虹村は洗濯機の中でまわるシーツを立ったまま眺めていた。シーツを洗う音だけがごうんごうんと響く。稼働中のランドリーは熱を持って、肌を寄せていると親しみを覚える。
空のランドリーにもたれる氷室は、棒のついたアイスクリームをなめながら虹村だけを見ていた。壁に掛かった時計が午前三時前を示している。
空調などと気の利いたもののない室内で、乳白色のアイスクリームはとろとろと溶けるばかり。手に落ちないよう舌であちこちを舐めていると、虹村に抱きしめられた。
まだへばりついている白いかけらが棒とともに落ちる。タイルの床の上でしずくが跳んだ。シューズの先でみずたまりが広がっていく。
「アイス、おちたよ」
「棒だろ」
虹村が首に鼻先をすりつけた。彼の手の中でシャツが皺を作っている。洗濯機が止まるまであといくらかかるだろう。家に戻る頃には朝になっている。
ベッドに飛び込み靴を脱いで。シーツを敷いていないマットの上でタオルケットを分け合って、昼過ぎまで寝ている気がした。起きる頃にはくしゃくしゃに乾いたシーツのアイロン掛けが待っている。
「……寝そうだ」
「帰りは俺が運転するよ」
「寝たら俺を叩いて起こせ」
もたれかかる虹村の後頭部に手を置いた。呼吸のたびに起伏する彼のゆるやかなリズムに身を任せる。はしゃいだ後の静けさは嫌いではなかった。
「今日も君をひとりじめしていい?」
「俺がノーを言うと思うか?」
「……知ってた」
虹村の背を抱きしめる。店の前を走るタイヤの音は聞こえてこない。夜明け前の街で洗濯機の回る音がいつまでも響いていた。
君のうわくちびるはずるい(2016/7/10)