欲張りウサギはおねだり上手
デザートがあるからと、夕飯を終えた兄をリビングに留め置いてしまったのだから、もう後戻りはできなかった。
自室で用意した衣装に袖を通す。化繊のとろりとした感触に肌が泡立った。首にかけた鎖を外して、意味をなさない襟のボタンを締めた。
馬鹿なことをしている自覚はある。だからこうして恥じらいに身を染めているのであって。
姿見でカチューシャの位置を確認する。頭から生えた片耳を戯れのように折り曲げた。どれだけ繕っても鏡に写るのは、筋骨隆々の肢体にふざけた格好だった。
光沢のある黒い生地で拵えた、長靴下と揃いの長手袋。繋がるべき裾を持たない襟と赤い蝶ネクタイ。身につけているものといえばそれだけで、隠すべき箇所ばかりが露骨に強調された衣装だった。背中ときたら尻までまっすぐに肌を晒している。
素肌が外気に晒される寒さは、己の痴態を兄に見せることへの羞恥で感じなかった。逆バニーという知識は黄瀬から教わったものだ。男受けがいいらしい。
兄の性欲は旺盛で、性行為へつなげるために手を尽くさねばならない状況下ではない。兄との関係は良好だと感じている。
いわばやらなくてもいいことをやろうとしているに他ならない訳だが、二度目のウインターカップが終わったことによる安堵、兄と共に年始を過ごす高揚が、火神に無用の好奇心を掻き立てさせた。
行事でもたらされるコスチュームを性行為に結びつけることなど古典も古典。であれば、兎年にかこつけて兎の格好をしても許されるのではないか。
通販で購入した赤いハイヒールに足を通す。事前に履き心地を確かめたそれは、短時間で脱ぐことになろうともしっくりと火神の足を包み込んだ。
姿見に写る肌がほんのりと赤みを増しているのは、夏の合宿で焼けたためではない。恐る恐る、何度も姿見に己を写しては躊躇いに顔を曇らせたが、いつまでも兄を待たせるわけにはいかなかった。
震える脚を抑えつけるようにヒールで床を鳴らして、リビングへ向かう。コートにいるかのような鼓動の荒さと速さが火神の不安を膨らませた。
兄は夕食後のひとときを火神が着替える前と変わることなく過ごしていた。
ソファに腰を下ろし、テーブルに放っていたバスケ雑誌を捲る。火神が戻ってきたことに気づいた兄が顔を上げるも、そこには驚きも戸惑いも読み取れなかった。火神が全裸で出てきても兄は普段どおり接するような気がしている。
「あ、あのさ、タツヤ」
恥じらいと柄にもない緊張で声が上ずっている。手の置き場が見つからず、腿の隣で握り拳を作るばかり。
兄と目を合わせるも、己の格好と要求にまともに向かい合えず、靴下を履いた足元に視線を下ろした。灰色の靴下は兄が履いているだけで価値があるように思える。
幼い頃から何度となく示してきた身体だというのに、あからさまな格好とこれから示す欲求で、目眩を覚えるほどの羞恥に襲われる。剥き出しの下腹部の中心は熱を持って天を向いていた。充血して重みを持った己が恨めしい。兄と対峙しているだけでもはや溢れてしまいそうだった。
「どうしたの?」
「ことし、うさぎどし、だから」
「うん」
「うさぎのかっこした俺と、せっくすして、くれ……です」
欲求の最後は尻すぼみで、泣きそうな子供のように懇願した。
口に出さなくては伝わらないのに、口にしてはいけないような。実の父親と向き合うよりも兄に己の欲求を伝える方が、時として火神に罪悪感を抱かせる。
肉親や師匠に抱くべき畏敬を火神は氷室に注いでいた。一度火神が犯した選択は根深い罪の意識として兄への態度に現れていることに、誰よりも火神が気づいていなかった。
兄の反応を待つ数秒が火神には数時間にも感じられる。慣れないヒールを履いたせいで、普段よりも遠近感が狂っている。氷室は無意味な雑誌を閉じて、テーブルに放った。雑誌がガラス張りの表面に当たる微かな音にすら、火神はひくりと動揺した。
「おやおや。駄目じゃないかタイガ。お前はいまウサギなんだから、それなりのお強請りをしないといけないだろう」
「あ、う……」
「ねえタイガ、手に持ってるそれはなに?」
叱られた犬のように俯いた火神は、兄の言葉で初めて己が握りしめていたことに気がつく。紐状のそれは火神が参考に取り寄せた下着だった。レースで縁取った黒のそれ。穿けば尻は一本の線で区切られる。バスケどころか、日常生活にも支障が出るそれは男性器を収めるための形をしているものの、柔らかな火神すら収めることができなかった。幾度か己に合う大きさのものを縫おうと試みたものの勃起時との兼ね合いがうまく行かず、見送った品。
部屋に置いておくはずのそれを、火神は持ってきてしまっていた。兄に指摘されて、両耳がかあっと熱を持つ。
「これッ、ちんぽ隠すやつ……! だけど、ぜんぜん……収まんなかったから、はけなくって……俺、それで……えっと」
「なるほどね。それなら無理して穿かなくていいよ。そもそもお前のサイズじゃ収まらないだろうし。ねえタイガ、これなぁんだ?」
ソファに伏せていたそれを指先で摘んでしまうと、兄は火神へ差し出した。正方形の紙片に並ぶ四枚のハートのシール。色は燃えるような赤。ラメの散ったそれが何であるのか火神はしばらくわからなかった。なぜなら兄が持っているわけがない物だったから。
やすりを掛けた兄の爪は卵のように整っている。指に嵌まったそれが紙片を支えている様を馬鹿のように眺めて、それからようやく火神は兄が持っている紙片の意味を思い出した。
必要だと声高に主張していたのは黄瀬だった。『ボロンって全部見えるよりは、隠してあるほうが絶対イイっス!』
「あ……たつ……や、それ……」
「ねえ。いまこの場で貼ってみてくれないか。どこに貼ればいいのか、お前は知っているんだろう」
「ん……ッ」
すっかり渇いた喉でどうにか返事をした。目の前の事態全てが悪い夢なのではないかと思い込みたくて仕方なかった。こうなる展開を望んでいながら、ここまでの展開を望んでいたわけではなかったから。
喉が足りない唾液を飲み込んで、音を立てる。頭に飾った長い耳は火神を道化に仕立てていることだろう。火神は震える指でシールを受け取ると、覚束ない手付きで剥がそうとした。
ひとりであれば。もしくは目の前に兄がいなければ。そもそもこうしたふざけた格好でなければ、何不自由なくシールを貼ることができるのに。
兄の目の前で兄のためにしようとすると、いつだって火神の身体は火神の意思を裏切り続ける。
厚みのある胸襟。日々の鍛錬により意図せず膨らんだ胸の中心。焦れてひとりでに形を持った乳首へシールを貼る。普段であれば柔らかく凹凸も少ないそこは、今や指でつまめるほど立体になっていた。位置がずれないように自分の身体を見下ろしながら貼り付けるも、ぷっくりと膨れた乳首が邪魔で不格好になっている。兄に吸われたわけでもないのに、期待に染まって色づいて。
伺うように兄を見下ろせば、口元に微小さえ浮かべながら火神を見守っていた。庭を駆ける犬を見るそれ。至らない子の様子を遠くから伺うそれだった。兄の灰色がかった暗い瞳から火神と同じ欲を感じることはできない。
兄さえすぐに火神を求めてくれれば、こうした独りだけの羞恥を味わわなくとも済むのに。恥ずかしさで脳が茹だって溶けてしまう様を想像しながら、火神はもう一枚も覚束ない手で貼り終えた。クロワッサンを生地から焼き上げてしまう方が今の火神には容易に感じたことだろう。
ほっと安堵を感じたのも束の間で、己の身体を見下ろせば両胸にハートのシールを貼り付けた卑猥なバニーの男が出来上がっている。触れてもいないのにさっきからずっと勃起している自身からは、待ちくたびれたせいでいよいよ雫が垂れていた。糸を引いて、重みを持った透明なそれが火神の幹を滑り落ちる。
火神は背中から汗が噴き出すのを感じながら、恐る恐る兄を伺った。端が二つに割れた眉は兄の前で情けなく下がり続けている。
「タツ、ヤ」
背もたれにゆっくりと背を預けた兄は、くすぐったそうに火神を一瞥する。火神の掠れた声すら今の兄には届いていないのかもしれない。あえて浮かべているであろう兄の柔和な表情は、物を言いたげに火神を見上げた。
これではまだ足りないのだ。瞬時に兄の意図を感じ取った火神は、しかしどこに貼ればいいのかわからなかった。不鮮明な記憶の黄瀬が示した動画はここまでしか示していない。
悪夢に似た状況下で噴き出した汗は背中を伝い、尻にまで届いていた。きゅっと引き締まった臀部に溜まった雫が床に落ちているのを、火神が気づく余裕はなかった。
「タイガが隠さなくちゃいけない場所、もうひとつあるだろう?」
それでようやく合点がいく。兄の助け舟を瞬時に理解するも、同時に頬が赤く染まった。自分の熱が性器以外に集まっている様子を自覚するのは今日で何度目だろう。
思えば兎だというのに尾を付け忘れた火神へのフォローでもあるのだろう。火神は腰掛ける兄のすぐそばまでヒールを鳴らして近づくと、背を向けて、眼前に尻を差し向けた。腰を掲げて、ヒールから伸びる脚は鍛えた曲線を描いている。火神はついぞ知ることはなかったが、汗に濡れた臀部と氷室の鼻先に設けられた距離はほんの僅かしかなかった。氷室は背もたれに頭を押し付けたが、それがさほど意味を成さないことはわかっていた。間近に迫る尻から漂ってくる汗の匂いを氷室は適当に嗅いだ。つくづく代謝の良い弟だった。
人差し指と中指で奥に位置する窄まりを見せつけ、指の感覚でシールを剥がす。火神には女性と異なり、隠すべき秘所はない。しかし、兄が『隠さなくてはいけない』と指示するのであれば、同じ穴つながりでここしかないはずだった。
肉付きの良い尻たぶを掻き分けて、兄の前に排泄孔を晒す。緊張と興奮でそこはきゅっと閉じていた。襞のひとつひとつが閉じるために皺をつくるそこは、周囲の肌と同じ色のまま保たれている。
食べた分だけ元気よく出す火神の秘所は、ゆえに収縮性に飛んでいる。兄の手でのみ生殖器となるが、今夜も使われることはないだろう。なぜなら火神が雌になることを誰よりも兄が遠ざけていた。兄に抱かれる性として扱われると、孕むために心身が準備を始めてしまう。兄が願うあの競技すら忘れて、兄に抱かれることだけを願う雌となるその姿を、誰よりも火神が望んでいた。兄を専有できる唯一になることができれば、どれだけの幸福が待ち受けていることだろう。
しかし、兄が許さない。兄が求めているのはバスケットボールに興じ、兄の体内で精を吐き出す弟なのだから。ゆえに火神も自ら孔を慰めることはしない。兄の許しを得たときだけと決めていた。兄が顔を顰める様を目にするだけで、怖くて仕方ないのだから。
今度こそ兄に見棄てられてしまったら。きっと火神はまともではいられない。
「ここ、だろっ……」
窄まりに力を込めることで位置を常に意識し、浮上した輪郭へシールを押し付けた。普段貼り付けない箇所に広範囲で異物が覆い被さっている。その感触に馴染みにくい違和を覚えるも、兄の指示が下るまで火神が自ら剥がすことはない。
「おや、えらいえらい。タイガは俺のことをよくわかってていい子だね」
指できちんと貼った箇所を広げる火神の尻に兄が触れた。汗で冷えたそこを兄の体温が滑り、具合を確かめるように揉む。それだけで張り詰めた根本が大袈裟なほど揺れた。
「それで。タイガはどうしたいの?」
兄の望み通りに行動できた安堵で満たされたのも束の間、このあとの希望を問われて言葉に詰まった。
どうしたいも何も、火神の希望はただひとつ。使い物にならなくなるまで兄に可愛がってもらいたい。火神の希望はいつまでも放置された勃起を兄の中で掻き混ぜることだったが、もし、兄が許してくれるなら。
セックスの範囲を普段よりも広げてくれるのであれば。火神の仕舞い込んだ願望を今日だけは満たしてくれるかもしれない。
しかし、それは兄が望んでいることではなく、予定していたことでもなかった。だがもし、兄が火神を抱くことも考えに入れていたとしたら。
火神は幾度も意味をなさない母音を漏らした末、尻たぶから手を離した。逡巡の後、火神の選んだ答えは初志貫徹。これに尽きた。
兄の目の前で仁王立ちし、背を反らした姿勢で腰を突き上げて懇願する。これは最初から決めてきた格好だった。
「今夜は、俺のイキり立った低脳うさぎちんちん、タツヤの気が済むまで丸呑みしてほしい……です」
放たれるべき機会を失うばかりの蜜は重く床まで溢れてしまっていた。ふっくらと広がった鈴口から幹へ伝わり、床につややかな溜まりを作っている。
とろりと漏れる粘液の細い糸が、床と勃起を繋げていた。火神の中心で震えるそれは真っ赤に染まり、まさしく熟れ頃の人参のようにしなっている。
「丸呑みでいいの?」
「おいしく、食べて……萎びたにんじんになるまで、タツヤの好きにしてくれ……だ、さい。タツヤに俺のぜんぶ、おいしく食べてほしい……んだ、です……ッ」
「いいよ。全く、自分勝手な弟を持つと苦労する」
兄の疲れたようなため息が火神の耳まで響く。
己を蔑ろにするその台詞に欲が点っていることに、火神が気づくことはなかった。