心底気にいらねえ
浮上した意識は氷室に目蓋を開けさせた。浸かり続けた眠りから引き上げられたばかりの脳みそは労働を放棄している。
光が煙のように満ちて辺りは薄暗い。明るい外の日差しが夜を装う室内へ入り込むために、いまだ暗さを残しているのだ。焦点の合わない景色はクリーム色の輪郭をしていた。働かない脳みそではそれが何であるのか知ろうとしないし判断もしない。ただ目に映すだけであって。
「morning」
乾いた唇を食むように啄まれ、与えられた熱と湿り気に氷室は自分の身体を思い出す。隣に寝転がる弟が親愛のこもった穏やかな表情でこちらを見た。汗をかいた髪を陶器を扱うように撫でて。得意げにやや上がった口元に、氷室を映す瞳は寝入る前の暖炉のようにまどろんで。氷室は静かに瞬きをした。昨日何をしたために今こうあるのか、思い出す。脳みそが再稼働を始める。
くたびれたシーツに手をついて、乗り上げた先でキスで返した。弟がしたように啄むだけの軽いもの。そのくせぱっくりと唇は食べてしまって。歯も磨いていないのに、だとかは考えないようにした。寝不足と寝過ぎの二重奏があそびすぎた身体よりも頭を重くしている。
見下ろした先で弟はこちらを伺っている。伸びた指が、前髪の散った左耳や頬を撫でる感触を、目を閉じて味わった。愛でることを知っている手だ。
「……今何時だ」
「十二時前。早い方だな」
今日寝入った時刻にしては。昨夜の様子を思い出す。熱が入ったわけではないが、終わりを見失っていた。氷室は力を抜き、重力の従うまま乗り上げた裸体に覆い被さった。シートベルトのようにすぐに腰に手が添えられる。
氷室より高い体温が肌を通して伝わってくる。うつぶせになるにはふさわしくない、でこぼことした堅い肉に肢体が絡む。外気に晒される背中を気遣うように撫でられる。氷室は顎を弟の首元に立てて、しかし沈んだ。どうにも意識がおぼつかない。うまく頭が働かない。
「頭痛え」
咥内と喉は水分を欲していて、嗄れた声しか出そうになかった。目蓋を閉じた先にある暗がりで、弟に抱かれるのが一番の薬だった。
「タツヤ、ショートスリーパーだからな。寝過ぎたんだよ。平気か?」
「休みの日にも目覚ましをかけるぞ。クソ気分悪い」
「低血圧の奴見てるみてえ……。疲れてたんだ。いいんじゃねえ、たまには。今日は一日付き合うぜ、おにーちゃん」
「疲れさせたのお前だけどな」
「原因はソッチにもあるだろ?」
見上げるまなざしはこちらを試そうと悪戯に潤んでいる。何よりつめたい氷室の尻を餅であるかのようにむにっと掴んでいるのが証拠で。氷室はうすく開いた視界ではっきりと告げた。弟が氷室を称するいわゆるポーカーフェイスで。氷室にとってはこんなもの、表情の変化をつけるものでもなかったが。
「お前とするのを嫌がる日が来るとでも?」
「……タツヤってすぐそーゆー殺し文句おもいつくよな……。聞かされる俺の身にもなってほしーぜ」
「創作意欲が湧くんだ。俺のミューズってとこだな」
「マジで? おひめさまだっこされなきゃ」
照れてたじろぐ弟の顔をつかんでいくつもキスを落とした。唇をぱくりと食べてしまうように覆って、舌で戸惑うそこを割り開き、歯列をなぞって頬の内側の粘膜のやわらかさを味わう。唇を押しつけるたびにいくつも濡れた音が漏れた。弟が頭を引いてしまわないようにしっかりと掴み続けて。氷室ひとり目を閉じて繰り返す熱烈な口付けに、火神が乗ってくることはなかった。弟こそ人形のように停止している。氷室の尻をつかんでいた手から力が抜けて、ぱたりとシーツへ落ちた。
下腹に溜まる衝動に腰を揺らして擦りたくなったが抑えた。キスはその気にさせる何よりの媚薬だ。他人のセックスを見るよりも氷室には効く。息をするのを忘れそうになる手前で口を離した。はっ、と息を吸って濡れた己の唇を手の甲で拭う。眼下で惚けた顔の唇が、己の唾液でぬらぬらとひかっているのを目の当たりに、氷室は勝ち誇った。フェイクやトリックショットを好む氷室は、性質として相手に一泡吹かせるのが好きなのだ。
「いくらでもしてやるが」
いつまでもキスしていられる厚い唇がふるふると歪み、頬がきゅっと持ち上がる。どことなく赤みを増した顔を見下ろしていれば、弟は口をはくはく開けては閉じし、いやいやと顔を横に振ってはシーツへ逃げようとした。
「やべえ、ほんとやべぇえ……たつやぁ、俺いがいにしたらメっだかんな! ぜったいすんなよ!!」
シーツに顔を伏せたまま指を指される。鼻先につくかつかないかの爪先を、氷室は指で弾いた。何が「めっ」だ。俺はお前の子供か。
「しねえよ」
「……それでな、タツヤ。俺、いっこ気になってることあるんだけど……」
「やるのか?」
シーツから顔を引きはがした弟が、困った形相で否定した。何を勢いづいたのか上体を起こすほどの剣幕に、しかし氷室は動じない。とりあえず楽な姿勢を取るべくあぐらをかいた。
「そーゆうんじゃなくて! 最後、ナマでやっただろ? 確か……。風呂行かずに寝ちまったから、まだ、その……俺、の……」
勢いのわりに最後はごにょごにょと言葉を濁し、指先をつんつんとくっつけたり離したりしながら弟は目を伏せた。その先を言葉にせずとも誰が聞いても見当はつく。氷室はいつもの調子で弟の心配を拭おうとした。それにしても弟のする動作はいちいち感情豊かでかわいい。
「これから風呂行くだろ? その時に流せばいい」
「いや、腹こわすから! だから、もし、まだあったら、すぐに出さねえと……」
「一晩経った今になって何を心配しているんだタイガ。まず俺はそれで腹を壊した覚えがない」
「や、でも! せっかくの休みなのに俺のせいでタツヤの体調悪くなったら! タツヤだけの体じゃねえし!」
「お前の精液の前に寝過ぎて頭いてえんだよ。起きて早々小競り合いしたいのか? めんどくせえな……指寄こせ指」
「え、お、おう!」
いくら普段を説明しようと埒が明かない弟には行動で示すしかない。舌打ちまじりに手招けば、弟はおそるおそる両手を差し出した。なぜか改まって正座をしている。大柄の弟がちぢこまって正座をしているのは滑稽で、くやしいけれど憎めない。
右手を掴み、指先に口付ける。やすりで磨かれて整えられた爪の先と厚く堅い皮膚のギャップが愛おしい。ボールを掴むための手で身体中を愛でられると、罪悪感と優越感と弟への愛情が焦げ付く手前まで煮詰まって、いつも気が変になりそうだった。自虐と劣等は弟の前ではひどいスパイスだった。依存性の高いそれ。だから氷室は弟から離れられない。
母の乳房から乳を吸うように、力の抜けた指を口に含んだ。汗と何かとなにかの交じった味がする。混ぜものの塩からさ。氷室は欲張りなのでふたつみっつまとめて吸っていた。上顎のおうとつを擦り、舌でざらつく形を辿る。くわえているだけで唾液があふれ指を濡らした。粘度の高い温かなそれがいくら出ようと氷室は喉を動かさず、仕舞いにぼたぼたと唇から指からこぼれてはシーツを汚した。氷室が舌を動かすたびに水の跳ねる音がする。
夜のうちに嫌になるほど舐めたはずのペニスが恋しい。氷室の口腔はどうやら性欲と直結しているらしく、くちを弄られるとその気になる。弟にはすっかり知られていて、昨夜は舌を指でつままれた。引き出された舌にあれを垂らされて、触っていないのにふくらんだ先端から蜜があふれた。理科の実験でされる綿棒のように指で頬の内肉をこそげとられるように擦られるのは格別で、それをされながら突かれると失神しそうなほどいい。尻で隠した穴を下の口と呼ぶ奴がいるが、氷室にはまさにその通りだった。あのときに指に歯を立てても弟は何も言わない。うっかり噛んでしまっても。大切な指だというのに。
弟はともかく氷室の衝動は喉元まで迫り上がっていた。沈黙を保つ指を口から離してやる。皮膚は氷室のものでふやけてやわらかい。吐きだした指に力が籠もることはなかった。夜の続きをしているようだ。弟の肩に手を置いて、ゆっくりとシーツに沈めた。抵抗のない身体にのしかかるのは簡単で、氷室は濡れた弟の手をふたたび尻に誘う。弟の身体をはさんだ両膝をできるだけ遠くに離して、腰を上げた。この体勢は氷室が好むものだ。弟もこれが何を意味するのか知っている。
氷室の口内で暖まった指が尻たぶに沿う。唇の端が弧を描いていた。
「……好きなだけ調べろ。ついでに出しちまえ」
「えっ。え、あっ、いいのか……?」
「タイガ、俺は、同じことを繰り返すのが、嫌いなんだ」
「おうっ! ですっ!!」
たじろいでいた弟が「待て」を許され、喜び勇んで尻たぶをひらく。瞳を輝かせ、あわてて氷室の尻をつかむ弟は犬のようで。弟が、戯れに近しい誘惑を控えろと氷室に言いつけたように、弟もまた犬のようなこの姿は氷室の前でのみ見せればいい。氷室は芯を持った屹立をすぐ隣の割れた腹に擦りつけてしまいたいのを抑え、弟の調査を待った。
濡れた指が躊躇いなく窄まりを掻き分ける。閉じているために皺の寄ったやわらかな表面を、指でくすぐられるのも焦れったくて好きなのだが。
「ん……」
わずかな隙間に指を引っかけ、採掘するように閉じた粘膜を自分の形に拡げられるのは、いつされても図々しさを感じる。拡げて慣らさなければ受け入れられないが、受け入れるために造られていない器官をそのために拓くのだから、間違ってはいないはずだ。
粘膜が、管が、弟の指のかたちに変えられる。中指と人差し指と。情交のためではない動作は気遣いを含めど作業的で、注がれた種の有無を調べるために遠慮がない。
たやすく、指は根元でつっかえて、どれほど工夫しようと先へ進めることはできなかった。お預けを食らった薬指が尻をひっかいている。
肉付きのよい指を根元までふたつも入れられて、奥のその先をこじ開けられて。氷室は弟の肩を抱き、額を頬にすりつけしがみついた。指がまるまる入るだけの場所を調べて見つからないのだから、直腸が吸ってしまったか初めからないかのどちらかだろうに、弟は指を休めない。
「なんもねえかな……」
汗の浮いた背を労るように撫でられながら内を弄られるのは妙だった。一応は自分のしていることに気がついているらしい。
指の先で閉じた奥の管を執拗に拡げられて、ふくらんだ屹立がひとりでに跳ねる。管を埋める指の、第二関節がゆるく曲がっているせいで内側からいびつに拡げられて、みっしりと性器を埋め込まれている気分だ。奥の粘膜を指の先で擦られると膝が震える。目覚めきっていない身体は容易く熱を吐き出させてくれなかった。
「あ」
いやな感触が唐突に始まった。間に合わなかったあの感じ。氷室の予感は当たっていた。ついぞ拓かれなかった果てから、弟のお望みのものがとろとろと姿を見せた。
内に鈍感な氷室にもわかる量というのはつまりそういうことで。管を埋める指を伝って弟にもわかったらしい。手のひらに溜まったであろう種が尻にもついて恥ずかしかった。促されたとはいえ、消化物の成れの果てではないとはいえ、感触は完全に粗相そのものだ。
「……悪い。やっぱり中に残ってた……。すぐ出すな」
精液の居所を知った弟が奥を拡げようと執拗に指を動かす。掻き出そうとばらばらに動かされ、曲げられた関節で粘膜を擦られ。何より指がつっかえても先に進もうとする熱意が氷室をくたびれさせた。こんなものシャワーでも当てればすぐだろうし、ウォッシュレットもある。他の方法もあるのにこうして自ら始末しなくてはと躍起になるのが弟の悪いところだった。
やめろと言ったところでやめないし、弟がやり終えたと判断するまで続くのだろう。閉じきれない唇の端から涎を垂らして、ついぞ氷室も自棄になる。はやく出してしまいたい。声を抑える必要はないので、与えられるままに喘いだ。我慢していたが、躊躇った末に肩に爪を立ててやった。もう知るものか。
「あ、ン……あ、イっ……タイガの指でいじられると、頭トけちまいそうに、いっ……」
「タツヤっ……腕力すげえ……!」
「おくン、そこ、ア、んっ……ふ、あ、もっと指、広げろ……っ、あ」
垂れてきた精液のせいで、指を動かすたびにぐちゅぐちゅとあられもない音が響いていた。弟の手は数時間前己が放ったものでしとどに濡れていたが、指を動かせば動かすほど奥から湧き出るように零れてくる。とろとろと落ちてくるので精液に違いはないのだろうが、それにしても首を傾げる量を仕舞い込んでいたものだ。あまりの量に弟はつついてはいけないところをつっついてしまったのではないかとほんのすこしの恐れが頭をよぎったが、快楽の前に消し飛んだ。そんなことよりいい加減股にぶら下げているアレがほしい。とはいえこの事態に焦るのは弟も同じようで、わざわざ詫びを入れてきた。
「悪いタツヤ、量多くて終わんねえ……!」
「お前それ自慢か?」
「へ、なんでっ?」
人差し指と中指が、おくで、二股にひろげられる。氷室でも息を呑むほどの量がこぽぉと溢れて。思わず唾を飲んだ。放られたままのペニスがじんじんと熱を持っている。早く出したい。
「あ……っ。あ、あ」
背中を震わせてしがみついた。身体のあちこちがぴくんぴくんと跳ねて、その先を待っている。気がつかないほど腹に馴染んでいた弟の種が、管と指を伝って流れていく。シーツはそれでうんざりするほど濡れてしまったことだろう。
注ぎ込まれたものを出してしまってすっきりしたはずなのに、むしろ。氷室を満たしていたものが抜けてしまって、物足りない。体内にできた空白が次を求めていた。
ぐっしょりと汗にまみれた肢体から力が抜けない。弟が気遣いを込めて指を抜いた。引き抜く際に粘膜をこするそれすら今の氷室には毒で。猫のように足りないと鳴いて強請った。
弾力のある尻はあるべき形に戻ったが、拓かれたそこは口を開けてミルクを流すままだ。氷室はあるべき次のために弟を待った。だのに。
「……タツヤ、これ風呂いった方が早えわ。流しに行こうぜ」
全身を巡る血液が煮立つようだった。思わせぶりな態度で煽って焦らして、そのくせこれだ。
ついでにシーツもひどく汚れた。タンパク質は始末が面倒なのをいつになったら理解するのか。
氷室は息を吸った。肺がふくれるほど空気を溜めて、そうして深くふかく吐いた。それで治まるなら事は容易い。
「……タイガお前さあ」
きしむ身体を起こし、腰を浮かす。思った通りそれは氷室のものと等しい姿をしていて、改めて弟を馬鹿だと思う。怒りで重い頭も吹き飛んでしまって、喉が渇いていたのも忘れてしまって、ただひとつ求めるものを得ようと、自ら腰を下ろす。弟の指と種で準備は整っているのだから傷つくはずもなかった。
脚を開いて跨がって、馬に乗るように胸を反らせば、待ち望んだ圧迫が下から内臓を叩き上げる。心地よい鋭い痺れが脳に届き、歓喜の声がひとつふたつ。高揚のまま仕舞い込んだものをねじるように腰を揺らして、尻を押しつけた。動揺する身体に乗り上げて、すっかり掌握してしまうのは氷室の支配欲をみずみずしく満たすのだった。乱れた左の前髪を掻き上げて、驚きに満ちた弟を見下ろすのはひどく好い。
「結局朝からハメることになったか。昼か」
常になく低い声で吐き出せば、尻の下で肉が悶える。この期に及んで初心を装うのが腹立たしい。
「タっ……!? えっ? ええっ!? 何で!?」
「おっ勃てといてカマトトぶってんじゃねえ。女か」
「男だ! ですっ! じゃなくて、何でセッ……」
「てめえヤりたいなら素直にそう言え。まどろっこしいんだよ」
「ちがくて!! 俺はタツヤの腹が心配で!」
「てめえとヤって腹壊したことあるかってんだよ! タイガ!」
凄んで擦って揺すると弟の唇がよろこびに綻び、何より仕舞い込んだものがみちみちと膨れあがった。表にこそ出さないが、氷室の背を甘いおぞけが駆け抜ける。口内に満ちるお預けの唾液を静かに飲むことで、氷室は平静を保っていられた。
「ンっんん……♡ ねえです、けど、心配、だったんだ……昨日アレしたしアレだったし、タツヤアレであーなっちまうし、俺はアレがアレでアレって感じで……だから、俺はっ……」
「わかった。好きに動け」
「タツヤぁあああああん!!!!」
ご託を並べていた口が己の名で塞がれるのに、氷室は優越を以て笑みを刻んだ。弟の手が尻を鷲掴みにする。先よりも深く、指が食い込むほど力まれて、弾む心を隠した。初めからこうすれば、面倒な前戯をせずに済んだというのに。まったく困った弟だ。
深いひと突きに身体を震わせ声を上げる。もはやシーツも食事もなかった。弟が案じたようにこれで腹を壊したとしても本望というもので。それに、腹を壊したところで面倒を見るのは弟なのだから。それはそれでよい休日の過ごし方といえよう。
寝室のカーテンが開けられるのはいつになるやら。ベッドのスプリングで響くきしみはまだ先だと、部屋の外まで言いふらしていた。
「たちゅやぁ……♡」ごろごろ
「まあよかったよ。よく頑張ったな、タイガ」なでなで
「んっ……♡ ちゅき……♡」ちゅっ
(2018/5/20)