兄に与えるな酒と菓子
ソファの背から口を開けろとせがむ兄のために、首をのばして唇をひらいた。まるい背もたれに首を押しつけ、歯科検診のように喉奥まで広げる。
「あ」
母音のかたちに開けばチョコレートを投げ込まれた。まっすぐな軌道を見事舌でキャッチ。細長いかたまりをかじれば甘いシロップがあふれた。溶けるまで口を閉じている気にならなかったから歯を動かす。
チョコレートと砂糖にまじってかすかな苦さが後を引く。ヌガーやフルーツでなければチョコレートの中身はアルコールと決まっている。薄い板状のボンボン。アレックスが好むのはチョコレートもアルコールも多めのドロップ型。コンビニでよく見かけるのはラムレーズンとコニャックとブランデーと。アルコールを混ぜたものは溶けやすいから冬にしか出荷できないのだと、緑間あたりがつぶやいていた気がする。
ソファに腰掛けたまま、首をひねって兄に顔を向け続ける。
「冬季限定?」
「アツシがいやがるんだよ、酒が入ってるのはキライなんだって」
「へー」
示すように兄が緑のパッケージを振る。ソファの背に腕をおいた氷室はチョコレートを食む火神をニンジンでもかじるウサギのように眺めた。容器を引き出して彼もひと粒つまむ。顎が動いているからおそらく兄も早々にかじっているはず。
「うまいのに勿体ねえ」
「種類が異なるのを、ふたつくらい買ったかな。付き合ってくれると助かる。冬はコンビニに洋酒を使ったチョコレートが並ぶんだな。似たようなものが多いから、どれがいいか迷ったのに。あいつめ」
紫原につっかえされたそのときを思い出しているのか、氷室は朗らかに眦を下げた。多ければあと二箱、チョコレートボンボンがあるのだろう。甘味というよりは菓子を好み、万人受けする味よりもげてものを好むといつか黒子から聞いたが、紫原は味覚が子供なのかもしれない。火神は、氷室にパッケージを差し出されて眉をひそめる紫原の姿を思い描くことができた。
開いたままのパッケージからチョコレートをつまみながら、菓子と氷室を見比べる。甘味と兄の組み合わせは火神のなかではつながらない。
「タツヤってあまいもの好きだっけ?」
「食べるより買う方だ。俺の好みはお前が知ってるだろ」
中学に上がる前、ストリートを走り回っていたころ、氷室が当然のように買い与えたのはホットドッグやオニオンフライだった。火神はチョコレートやチップスよりも重量のある軽食を好んだから、兄が合わせてくれていたのだろう。
顎を指先で上げられ、背もたれ越しにくちびるを啄まれた。くちびるをかぷりと食べてしまうようにキスされて、すぐに離れる。兄だけ目を閉じていたのはいただけない。兄は互いのまなざしが合うところまで顔を離して、不意打ちをする輩に見合うだけの台詞を吐く。
「でもこれは好きかもな」
「キスが? チョコレートが?」
「言わせるなよ」
そうしてまた唇をかさねてきたので、火神は腰をずらしてやりやすい姿勢を取ろうとする。氷室の舌にふれているのにチョコレートの味が消えなくていやだった。ソファの向こうで立っているために、兄の前髪が顔の右側に落ちてくすぐったかった。ソファ越しのキスはもどかしく、夢中になるには位置がよくない。火神は自分から口を離すとソファをこづいた。
「やりづれえ」
「この格好で始めればそうだろう」
「もしかして、考えてること一緒?」
終わりではなく始まりなどと言われれば、その先を確かめないわけにはいかない。兄は愉快そうににっと唇をつり上げた。
「まあな」
「酔ってる?」
「別に、今更だろ」
火神の頬に手を添え、軽くくちづけると氷室はソファの背から移動した。かちかちと金具を揺らして、ソファの端に来る頃にはコットンパンツに手をかけている。勿体振ることなく脱いでしまうと、下着に手をかけ足首から外した。くつろぎモードの兄に脱いだ服を畳むという選択肢はないので、火神はフローリングの床に放られたそれらの行方を目で追った。カーキ色のパンツは皺にならないよう畳んで、グレーの下着は洗濯物にしよう。
すこし目を離していれば反応が遅れ、兄に膝頭をつかまれた。手にしていたチョコレートのパッケージはテーブルに放られている。場所を退けようとじりじり尻で端へと移動するも、兄の指先がジーンズに食い込む。制止のひとことも与えられないままベルトに手をかけられ、あれよあれよという間にペニスを取り出されてしまった。同じ男で、幼い頃から面倒をみあってきた仲とはいえ、兄の仕事は早い。他の男にもこうなのだろうかと思いかけて、考えるのをやめた。
ソファに膝をついた氷室が、ためらいなく火神の雄を口に迎える。火神は兄のやりやすいように脚をソファに横たえ、膝を曲げた。その下の窄まりまで見せつけることになるが、今更気にする仲でもない。
「しょっぱくね?」
「細かいことを気にしてセックスができるか」
唾液に濡れたペニスをぬるぬると引き出して口を開いたと思えば、また咥える。清潔な性行為からは遠いが、威張るように言われてしまえば何も言えなかった。
興に乗っているのだろう、声を漏らしながら舌を動かす兄の頭を撫でた。火神がてのひらを動かすたびにさらさらと黒髪がくずれて、いけないことをしている気になる。兄に頭を撫でられることはあっても、火神が兄にすることはこうした時を除いてほとんどない。
誰かを甘えさせる、という経験を火神は持っていなかった。自覚なしにしたことはあっても、意図を持って他人を寄りかからせたことはなかった。ゆえに兄の頭を撫でるのは常にないことで落ち着かなかった。しかし、兄がしたいだけとはいえ屹立を舐められれば、何らかのかたちで感謝の気持ちを示したかった。
開いた足の間に顔を埋めて奉仕する兄の頭と背を眺めていると、欲が嵩を増していく。今日の兄は素肌に白いセーターを着ているせいで、産毛の生えたうなじとセーターの白がいやに鮮やかだった。首にかかった銀の鎖が見えているのも劣情をそそる。
すべて脱いでしまうのもいいが、こうして半端に衣服を残していると妙に色っぽく見えた。セーターの向こうで白い尻がふるふると揺れているのはまったく目の毒であるし。
ソファに寝転んで足を開き、男である兄に股を舐められていると自分が女の子になった気にもなってくる。一方的にされてばかりの状態に落ち着かない火神は己の指を舐めようとして、昨日使った用具のしまい場所を思い出した。
「待ってタツヤ」
顔を上げるよう促すと、ガラステーブルの収納に転がしていたローションを、腕を伸ばして掴んだ。くちびるを手の甲でぬぐう氷室が、火神の指にチューブの中身の吐き出されるのを眺めている。
「俺もういいから、今度タツヤの番。こっち向けて寝て」
「いいのか? 俺はまだ舐めていてもいいんだが」
「クチよりこっちで欲しいだろ。俺はタツヤの好みを知ってるからな」
「さすが俺の弟。愛してるよ」
薄い微笑を浮かべると氷室はソファの端に頭を寄せ、さっきまでの火神と同じように膝を立てて足を開いた。起き上がった火神は反対に、あけすけとなった氷室の足の間に指を進める。
「ンっ」
皺の寄った周囲をローションで濡らした後、指を埋めていった。右手を動かしながら、兆していた雄に口をつける。腹を向きかけていたので、咥えるのは楽だった。
閉じていた肉を割り開いていくのは好きだ。自分のかたちにしているみたいで、興奮する。ペニスをくわえてしゃぶるのも、兄のならば大好きだ。他の奴にしたこともする予定もないので、この認識がかわる予定はない。
ふくらんだ幹のおうとつを舌でこすりながら唇で扱き、指で粘膜をぐちぐちと弄れば、兄の身体は火神に応じる。腸壁が狭まり、張り詰めていく雄のかたちがわかった。先端から溢れた先走りの塩気もぬめりも、火神には好きなものだ。
あんまり一生懸命にやったものだから、セーターの裾が火神の額にひっかかっている。氷室がひくんと跳ねた。
「あ、っ」
せわしなく息をするために腹のへこむ様がよかった。裾から左手を差し入れてほてった腹や胸をなぞった。つんと尖った右の突起を追い詰めないようにさすれば、指をきつく締め付けられる。
今日はいつもより出来上がるのが早い気がした。
「も、いいから、いれろ。はやくお前が欲しい」
兄の訴えに口を離して指を抜く。目で確認してもそこは氷室の言うとおり慣れた感じに整っていたので、心配することはないだろう。兄のペニスは腹についてすっかり密度を増していた。
氷室の弁を思い出してみる。おまえがほしい。兄のことなのでどうせ何も考えずにそんなことを口走ったのだろうが、それにしたって威力のある台詞だった。兄を知っている陽泉の連中に聞かせてやりたい。
中途半端にずりさげられたジーンズを脱いでしまう。下着を床に落として、テーブルからコンドームの箱を取った。兄が好んでいるのは0.02mmのポリウレタン製だ。コンドーム越しでも雁首がわかりやすいのと熱の伝わるのが良いらしい。製品を試すために買い込んだ、カゴの底を埋めるコンドームのパッケージを店員以外に見られなかったのは運がよかった。品物を選ぶため、あのときはふたりでドラッグストアに足を運んだし。
アナル用のローションも裏の製品説明を見ればわかってしまうが、コンドームのパッケージは男ならばすぐにわかる。何かとたまり場になる火神のリビングでそんな目立つものをいつまでも置いておくわけにはいかないので、兄が帰った後は台所の棚にまとめて仕舞う。ベッドや自室を覗いても他人の家の台所をがちゃがちゃひっくり返す輩は稀なので、火神の隠し場所はいつも台所周辺だった。
「スキンつける?」
「このままがいい」
「後始末面倒だろ」
「タイガがしてくれるんだろ?」
ソファに寝転がったまま平然と答える氷室に、火神は眉をひそめた。受け入れる側を気遣っているというのに、兄はこうした返事をして火神を困らせた。されて当然という彼の態度に悪気はないと理解しているが、一度はこうして噛みついておかないと兄の性格上図に乗る。
「そーいうこという」
「違うのか?」
「タツヤさんには敵わねえなあ。いい弟を持ってよかったな、おにーちゃん」
「だろう。自慢の弟だ」
一度は掴んだパッケージをテーブルに避けて、空の手で汗ばんだ膝を広げた。ほころんで慎みをなくした窄まりに先をあてがう。なんとなく先っぽをすりつければ兄が睨んだ。コンドームありが続いていたので、薄いぴらぴらの精液だまりが肌をこすらないのはへんな感じだ。
「いれていいか?」
「はやく入れろ」
兄につきあっていると、売り言葉に買い言葉というか、そういうことが続くのですこしは痛い目に遭った方が良いような気がしてくる。けれど兄が痛い目に遭ったところで辛くなるのはこちらなので、世の中うまくいかないものだ。
先端がうまく肉をえぐるように腰を進めていく。湾曲したペニスが直腸を押し開いていく恍惚に、腰と頭があまくしびれる。火神が、はっ、と息を吐くのと同じに、氷室が声を漏らした。開いた腿の内側がひきつるように揺れたのが、扇情的だった。あの、塩からい腿に思い切り噛みついて、赤い歯形を残してやりたい。
「んっ……」
奥まで押し込む前に動きはじめた。最初から根元までつっこんだら、戻ってこれない気がした。
腰を動かすごとに氷室の身体を火神に馴染ませていく。そうして同じ熱になったところで、初めて気が抜ける。その頃にはお互い楽しむ余裕をあまり残していないが。
氷室は息を止めて目をつむり、優美な眉をゆがめていた。火神から与えられる揺れにしばらく身を任せていたと思ったら、目を開いて訴えた。
「角度が浅い」
つながったままだというのに自分から横向きに身体をずらすと、深く迎えるために片脚を掲げた。支えるわけにいかない火神の手は、氷室の脚にそえられている。硬い茂みが氷室の肌をこすっているのがわかった。リクエストに応えて奥をえぐるように腰を使えば、セーターの裾を乱した腹が薄く色づいているのが見えた。
「これでオーケー?」
「っ……ちょうどいい」
火神ははっと息を吐いた。望まれた体位を取っているために、ぬかるんだ肉を貫くというよりは骨盤をがつがつと叩いている気分だ。このペースで続けていては長く氷室を愉しませることはできないだろう。それにしても今日の氷室は最初からできあがっていて、調子がくるう。
「タツヤ酔ってんだろ」
「さあな」
「なあ俺あんま保たねえんだけど」
「好きに動いていいぞ。俺も一度イキたい」
「さんきゅー」
許しが出たので、達するつもりで腰を動かす。ひとりだけ余裕のないのは格好悪いが、ここまで来ておいそれと止められない。深く深く、穴を開けていくように一点を目指していれば、あっというまに上り詰めた。ひさしぶりに抑えの効かない絶頂を経験する。
「うぁ、やっ……っう」
歯を食いしばり、氷室を支えにして射精する。彼の腿を強く掴みすぎて、痕が残っていないか心配になった。今日までしばらくご無沙汰で、ひとりで抜いてすらいなかった。そのツケが今になってきたのだろう。
首に下げた指輪と、セーターだけの姿でくったりと放心する兄の姿を前に、異性であれば確実に今ので孕ませていたのだろうと、何の気なしに考えた。
好きな相手が男でよかったとも思うし、悪かったとも思う。こちらが女であれば状況はまた変わっただろうし。
短時間の運動で顎まで落ちた汗を手のひらででぬぐう。火神の腹の先で転がる兄の屹立は火神と違って欲を吐き出していなかった。火神は氷室の脚から手を離して、息をつく。
「わりぃ、タツヤイってねえよな。ちょっと休憩」
「気にするな、よかったことに変わりはない。抜くなよ」
「あーすぐに復活するわ。タツヤさん掴んで離さねえ」
火神なりに褒めたつもりなのだが、氷室から腰を揺らされて前屈みになる。いつになく積極的で手のつけられないじゃじゃ馬に、火神の関心はテーブルの上のチョコレートへ向かう。1パーセントだろうが2パーセントだろうが、アルコールが入っていることに変わりはないのだ。
「やっぱ酔ってんじゃん」
「あの量で酔ってたら話にならない」
「へー」
「今度お前に洋酒漬けのケーキを焼いてやろう」
「いや、怖えからいいっす」
「遠慮するな、俺も付き合ってやる」
「その方がもっとこええー……」
度数ひと桁のアルコールで済んでいたものが倍に跳ね上がりそうな事態に、肝を冷やす。あくまで菓子の風味付けという免罪符を楯に、本格的に火神を酔わせようとする魂胆の氷室が恐ろしい。有言実行気味の兄であるからして、そのうち忘れた頃に菓子を用意するかもしれなかった。
火神だけが酔うのであればまだ救いはあるが、兄もいっしょになって呑まれた場合、何が起きるのかあまり考えたくない。なんでもない顔でとんでもないことをしてみせるのだ、彼は。
もとはといえば紫原が素直に兄から手渡されたチョコレートを受け取っていれば、こうして話がこじれることもなかった。元凶である紫原に怒りの矛先を向けようとすれば、なにやら氷室が腕を伸ばしてテーブルの上のチョコレートをつまもうとしている。見ている方が落ち着かないやりかたでボンボンをひっぱり出すことに成功すると、氷室は火神の唇に押しやった。
「ならお前が酔え」
むにっと唇に押し当てられたチョコレートを素直に口に入れる。それだのに氷室の指はいまだ火神の唇に添えられて離れない。きちんと味わえとでもいうのだろうか。
彼が酔っていようといなかろうと酒の力は怖いと思いながら、火神は甘い菓子をかじった。